ウソブックス:アニメ主人公が若すぎる問題について

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
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「認めたくないものだな。自分自身の若さゆえの過ちというものは…」
若さ について、シャア・アズナブル
「過ちを気に病むことはない。ただ認めて次の糧にすればいい。それが大人の特権だ」
若さ について、フル・フロンタル

前書き[編集 | hide | hide all]

主要アニメの主人公って、不思議なことに年を取っていたとしてもせいぜい20代までで、30を超える主人公が殆どいないのよね。ソースはググればいくらでも出るから省略するけど、人外の超高齢主人公を別とすると、アニメの主役はみんな異常なほどに若い。人外超高齢の主人公ですら、不老不死ないしそれに近い属性が与えられるせいで、見た目に限って言えば20代までのどこかで通用するのが基本。これってなんかおかしくない?

一応二次元キャラ扱いの私、開拓たんもなんか永遠の17歳扱いでいつまでたっても大人になれないみたいだし。サザエさん時空のような物理法則が歪んだ空間ならまだしも、やっぱりこれはおかしいわ。だから、私はこの不思議を考察しようと思うの。--Kaitakutan vkatsu face.png 開拓たんKaitaku-tan (Saloon/Shootouts) Usopedia logo new.png 20xx.xx.xx (x) xx:xx (UTC)

アニメの主人公が若い理由[編集 | hide]

私はアニメキャラじゃないけど、海外から見ればweebで同枠なのよね。そして、アニメの主人公同様、大人にはなれないみたい。

青春への憧憬説[編集 | hide]

若さと言えばやっぱり青春よね。時々バカな方向にずれて意識が高くなりすぎたり中二病にかかったりすることもあるけど、やっぱり青春っていい響きじゃない。でも、青春というのは、真っ只中にある人間にとっては自覚なく過ぎていくものなの。

だから、人にとって、青春とはいつになっても、憧れの対象だったり、回顧の対象だったりするわけ。それ故に、青春は、いつの時代も求められるものであって、外部から眺めることでしか楽しめないものなの。だから、あらゆる世代にとって、青春時代を扱うアニメは流行る訳。分かる?

モラトリアムへの憧憬説[編集 | hide]

青春時代に当たる思春期から青年期は、高い身体的・的能力を有しながらも、社会的義務が免除され、文字通り好きなことをして生きていくことができる時代、一種の猶予期間な訳ね。ところが、理想としてはそうであっても、現実的には青春真っ只中のはずの高校生大学生ですら、受験就活といったつまらない「現実的な」イベントに振り回されることが大半で、それを振り切って我が道を行くに値するだけの好きなことなんて探そうとしてもなかなか見つからない。

だから、モラトリアムを存分に活用し、本当に好きなことを追求して生きる、あるいは好きでなかろうと、少なくとも退屈な現実のイベントから解放されているアニメの主人公に、少なからず共感できるところがあって、そういうアニメが流行るんじゃないかしら?

主役が死ぬ英雄物語は叙事詩で十分という説[編集 | hide]

「中年エース」も、「老年エース」も、演劇部の練習のセリフとしては面白いかもしれないけど、絶対に少年エースのような存在にはなり得ない。

歴史をひも解くと、ヤマトタケルノミコトだろうがアーサー王だろうがジークフリートだろうがヘラクレスだろうがアキレウスだろうが、叙事詩の英雄は必ずぬ。どんなにたくましくても、思わぬ理由で死んでしまう。英雄と言えども人間であることには変わらないから、いずれ死すべきなのは当たり前。

でも、叙事詩が書かれたころと違って、科学が発達し、あの世も今や信じ切れないこの時代、大衆の多くが自称無宗教である時代において、死を直視することが何を意味するか分かるかしら?

あの世や救済を信じられたころとは違って、いずれ死ぬという事実を直視することは、人生の最終的な結果を前に、あらゆる過程が意味を失うというニヒリズムにつながってしまう。だからこそ、ハイデッガーが主張するように、我々は往々にして死という将来、最終結果を直視することを避けてしまう。殆どの人間は、残念ながら死を直視してなおもすべてを受け入れ自分で自分の人生の意味を紡ぐ、ニーチェが言うところの超人にはなれない。

アニメでも同じで、若ければ若いほど、生存率は上がる。中年の主人公は居酒屋で飲み過ぎて肝硬変急性アルコール中毒で死んでしまうかもしれないし、老年の主人公は無駄にカッコつけて「後を託す」などと言いながら戦死するか、老衰して死ぬかしか未来はないの。だから、自殺や事故や難病による例外はあっても、基本的に死ぬ可能性が低いであろう若い世代に主役は偏る訳。そして思い出したようにお涙頂戴するために、脇役は殺すかもしれないけど、やっぱり主役は生き残ってしまう訳。

要は、死から目をそらすという娯楽の目的の一つを果たすべく、死から縁遠い世代のキャラが担ぎ上げられるのよ。

誰もがインナーチャイルドを抱えているから説[編集 | hide]

どんなに普段の振る舞いが大人っぽい人でも、深層心理無意識には、子供のころと変わっていない部分が含まれているはず。その子供の部分、インナーチャイルドが、自分と同年代や自分よりちょっとだけ大人なキャラクターを好むのは、ある意味自然なことじゃないかしら?

だから、その年代のキャラクターは、無意識レベルにまで訴えかける、中年や老年のキャラにはできない魅力があるという訳。

もしもあのキャラがおばさんやおじさん、おばあさんやおじいさんだったら?[編集 | hide]

ChakuwikiのもしWikiじゃないけど、考えてみて。

ポケモンマスター目指して旅を続ける少年が中年のおっさんだったり、「逃げちゃダメだ」と悩む少年が実は70代のおじいさんだったり、「きれいなおねいさん」発言をするマセガキが実は50代のサラリーマンだと判明したり、SOS団の団長閣下が100歳になっても宇宙人未来人超能力者をいつまでも探していたりしたら、どう思う?

最後の項目についてはなら別にいいと言いそうだけど、常識で考えると興醒めだと思ってしまうものでしょ?別に年を取っても自分の欲求に素直であってはいけないという理由はないんだけど、どういう訳だか私達は、年齢が高ければ高いほど、人が常識から外れた行動をするのは痛々しいと判断してしまいがちなの。だから、中年の人間や老年の人間が、ティーンと同じくらい純粋だったら、憧れるよりも呆れ、共感よりも無視することを選んでしまいがちなの。

いよいよ高齢化が進めばそうでもなくなるかもしれないけど、だから、今はまだ、ダメなの。主役は若くないと。

視聴者も若いし、若くないと売れないという説[編集 | hide]

一説には、深夜アニメにせよ夕方のアニメにせよ、最大の視聴者層が20代までだというマーケティング結果もあるらしいの。仮にそうだとすると、人生経験の浅い若者にとって、自分たちがまだ経験していない中年や老年の悲哀が分かるものかしら?

悲しみはとっくに汚れっちまって初恋の味も忘れてテクニックと相手のステータスだけが物を言う大人の恋愛が含む、取り戻せない喪失感の味が分かるものかしら?

分からない人間がターゲットなら、分かるような作品を作るしかないじゃない。アニメだってビジネスなの。素人がボランティアでやる同人誌のようには行かない。儲からないとつぶれる。だから、儲かるような作品しか作れないという訳。

最後に[編集 | hide]

他にも色々理由はあると思うわ。このテーマ、色々考察しているサイトもあるようだから、気になるなら探してみれば?

あなたのお答えもお待ちしているわ。それじゃ、また会う日まで…。

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開拓者

16 日 前
得点 0++

そう言えば自称イチコメ荒らし殿は最近見かけないのお…。

というのはさておき。

あるもの好きが数千本のアニメデータベースからサンプリングしたデータだと、主人公の半数が学生なのだとか。多いようで少ない気もしないではないが、何十年分ともなると、傾向の変化などもトレースしていくと興味深いことになるかも。

関連項目[編集 | hide]

この記事「 アニメ主人公が若すぎる問題について 」は、
第四回藍色執筆コンテスト2位入賞 してしまいました。

この事実にウソペディアン一同 瓢箪 驚嘆しています。