ウソブックス:躾と躯

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
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躾と躯(しつけとむくろ)は、近年問題視されている、幼児や児童の虐待を正当化するために使われつつある(しつけ)という言葉を、名が体を表すように(むくろ)と表現し、それぞれを対比して説明した、いわば筆者から読者へ向けたメッセージである。

この記事は、しつけと虐待の違いを題材にしています。

導入[編集 | hide | hide all]

最近話題になったことであるが、年端のいかない少年を普段通い慣れた道でもない、ましてや山の中で置き去りにすることは、本来明らかな犯罪行為(保護責任者遺棄罪)である。されど、これを躾だと主張している両親がクローズアップされ、話題になっている。本当に、これは躾であろうか。いいや、違う。これは躾を装った躯[]である。

*脚注:躯とは、軀(身+區)の略字である。身編に物事を區別(区別、くべつ)すると言った際に用いられる區がついた漢字で、主に胴体や四肢や頭部など、体の一部分を分けて示す意味があり、はたまた昔は死して土葬される風習の中で身が朽ちて骨がだけが残る意味で、「骸/軀」と呼ばれた。ただし、軀をむくろと呼ぶことは歴史的に見れば近年ではあまり見られない。

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自身の子どもに対して、親は多くの義務を伴う。躾もその一つだ。親は子どもをしつける権利があるわけではない。親は子どもを正しく・健全に育成する義務を有するが、その過程において、子どもをしつける義務を有するのだ。これは、特に、子どもが非行にはしるようなことを防止したり、非行にはしったときにそれを正したりするような場合に、子どもへ軽い身体的苦痛を与えて反省を促し、正しきへ導くことが認められているということである。これこそが、正しい意味でのなのである。

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しかし、ここ最近ではこの躾の意味を拡大解釈して、「親は子どもをしつける権利がある」と考えているバカ親が、「親は子どもへ無為に苦痛を与えても良い」と勘違いをすることが増えてしまったのである。そのせいで、身を美しくするための躾ではなく、子どもを虐待し、死別させて、身と骨を区分けして躯(むくろ)に至らしめるものがいる。虐待死に至らしめたり、その可能性があるものは躾ではない。そんなものは、躯である。躾と躯では、全く別なのである。子どもを山中に置き去りにするのは、明確に虐待である。

親御さんへ[編集 | hide]

ウソペディアからのお願いである。子どもをしつける義務のある全ての親御さんは、必ずこの言葉を心に留めて欲しい。

躾は、子どもの身を美しくするために必要最小限の罰を科すものである。これをいき過ぎれば、か弱い子どもは簡単に死に至ってしまうし、体を壊してしまうだろう。あなたは、子どもの身を美しくするために、貴方自身が美しく温かくあるべきであるということを心掛けて頂きたい。

そうすれば、あなたの躾によって、あなたの子どもは身も心も美しく成長するだろう。

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