ウソペディアクオリティ

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』

ウソペディアクオリティとは、ウソペディアユーモアの質を示す言葉である。

概要[編集 | hide | hide all]

あるアンサイクロペディアの記事にこんな文言でICUが貼られた。

ウソペディアクオリティアンサイクロペディアウソペディアではありません。」
ある記事 について、ある利用者

この文例から分かることは、アンサイクロペディアンの一部において、ウソペディアのユーモアの画一的な質なるものが存在すると考えられているらしいこと、一部アンサイクロペディアンに言わせれば、ウソペディアのユーモアの質は何らかの理由でアンサイクロペディアを下回るということである。

しかしながら、ウソペディアにはアンサイクロペディアのようなNRVによる足切りも、新着記事制度による特定個人のユーモア観の普及もないため、この「ウソペディアクオリティ」なる言葉で全てを括ることは、そのような言葉を口にするアンサイクロペディアンが、サイトのユーモアの質は記事によらずほぼ均質であるという、アンサイクロペディア的偏見でしかウソペディアを眺められない証拠となるばかりである。

ウソペディアクオリティの正体[編集 | hide]

無論、ウソペディアにも記事が存在する以上、記事の質は存在し、評価対象にもなり得る。しかしながら、MJYされた記事ですら加筆次第での復帰があり得ると認められているウソペディアにおいては、記事全体を総称して「ウソペディアクオリティ」と表現することには意味はない。

簡単に言えば、選別制度が固まっているアンサイクロペディアでは、優等生的な記事ばかりが生産される傾向にある。偏差値60~70程度の、良くも悪くも落ち着いた、均質のユーモアが生産され続ける。従って、その質のバラつきが小さいので、「アンサイクロペディアクオリティ」に言及することは無意味ではない。

しかしながら、積極的な削除制度や安定した新着記事認定制度を持たないウソペディアにおいては、クソ記事から、突拍子もない天才的な記事、言うなれば偏差値20の記事から、80オーバーの記事まで玉石混交であるため、多様なユーモア観が共存し[1]、見る人によってはアンサイクロペディア以上に面白い記事が見つけられる世界となっている。従って、アンサイクロペディアの対応する記事との一対一比較には一定の意味があるが、総称での「ウソペディアクオリティ」には、せいぜい平均としての意味しかなく、ウソペディア全体への理解があればそれは形ばかりのものでしかないことに間もなく気付くであろう。

これは、開成などの有名進学校における高校編入組と、中学入学組との相違にほぼ対応する。受験勉強を重ねてきた高校編入組は、平均的にはそれなりに高い水準の学力を持つが、殆どの場合中学入学組の最上位層には決して勝てない[2]。しかし、徹底した落ちこぼれがいるのも、中学入学組の方である。均質なアンサイクロペディアと、多様なウソペディアとの関係性も、これに似ているのである。

脚注[編集 | hide]

  1. それが裏目となってか、秀逸な記事の審査は難航しがちである。
  2. 例外があれば、高校編入組の中に、たまたま中学受験しなかった天才肌が混ざった場合に限られる。

関連項目[編集 | hide]