シュルレアリスム

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
ナビゲーションに移動 検索に移動

シュルレアリスム(超現実主義(ちょうげんじつしゅぎ)とも、:surrealism、仏:le surréalisme)とは、男性名詞であり、芸術においてあなたが考える現実を超克しようとした試みである。

概要[編集 | hide | hide all]

シュルレアリスムは、有名な宣言から始まった、極めて用意周到に計画された芸術運動である。その中心となったのはアンドレ・ブルトンらで、教義への厳格さゆえ、マルセル・デュシャンサルバドール・ダリなど、多くの芸術家は一時的にこの運動に参加しても、すぐに異端として排除されてたり、方向性の違いから離脱したりした経緯があるため、純粋なシュルレアリストは殆どいない。20世紀に一世を風靡したが、厳格すぎる教義は最早ブルトンと過度に同一化してしまったため、彼のによってとうとう誰もいなくなって終わった。

シュルレアリズムは、ダダイズムの影響を受けつつ、芸術文学における常識に挑戦し、自分たちが考える常識から解放されるために、考えることをやめようとした試みである。しかしながら、その技法は実はそんなに新しいものでもなく、カッコつけて精神分析の影響下にあるような素振りを取らなければ、今ほど有名にはならなかったであろう。

歴史[編集 | hide]

シュルレアリスムの主な技法である自動筆記は、シュルレアリストがいくら精神分析を参考に取り入れたと主張したところで、遥か昔の日本徒然草にもその前例がある。

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

--吉田兼好『徒然草』冒頭

「心にうつりゆくよしなし事を」思うがままに書き付ける行為は、まさに自動筆記そのものである。自動筆記は、意識的な抑制を払い、無意識の声を精神分析自由連想法に従って引き出す事を図り、思い浮かんだことを全てひたすら書き付けていく方法だからである[1]

この本来文学的な技法を、文学から離れ、絵画で表現すると、その結果は妄想にそっくりの形をとる。ヨットが空を飛び、人のと接続し、男性器摩天楼と混じってニューヤードに林立し、現実にはあり得ない奇妙奇天烈な空間が生まれる。しかし、それは結局のところ子供でもできる自由気ままな妄想であり、ただ画力でその正体をごまかしているだけであるため、その歴史精神病の歴史、つまりは人類の歴史と同じだけの古さを持っている。

運動の目的である「常識の超克」それ自体も、ルネ・デカルト方法的懐疑を行って以来の長年の近代学術の試みと重なっており、芸術に限っても印象派以降の所謂前衛芸術一般に見られ、当時ですら既に陳腐と化していたものであり、また古い歴史を持っている。

しかしながら、ブルトンに言わせれば、彼らの運動は繰り返される歴史ではなく、最新の精神分析の技法を駆使した、真に前衛的で、真に常識を克服できる試みであり、だからこそ厳密・厳格な教義に従わなければならない運動であった。それ故、シュルレアリストの生み出した作品群の一見した突拍子のなさとは裏腹に、運動グループからの破門離脱は日常茶飯事で、純粋なシュルレアリストなど、殆どいないに等しかった[2]

シュルレアリスムの特筆性は、言ってしまえば「シュルレアリスト」の存在自体が現実を超克したのようなものであったこと、ただその一点のみにあったといえる。結局、最後は自己言及によってのみ、シュルレアリストたりえたのである。

評価[編集 | hide]

シュルレアリスムの作品は、その一見した突拍子のなさ故に、実際前衛的に見える。しかし、それは繰り返される歴史に巧みに衣をつけただけの焼き直しでしかなく、自由な記述ならアンサイクロペディアンでもできる。それどころか、ナンセンスを好み、考える前に書いているIllogicopediaの人間なら、日常的にやっていることである。あるいは読者は、アンサイクロペディアもIllogicopediaもシュルレアリスム以降に生まれたのだから模倣だと主張するかもしれないが、小学生が書いた妄想記事など、シュルレアリスムを知らない人間が書いたものですら自由気ままにやっている。従って、結局シュルレアリスムは、子供にもできることを「科学かぶれに」焼き直したものでしかないのである。

脚注[編集 | hide]

  1. なお随筆自体は『枕草子』まで遡ることも可能なので、兼好は思うがままに書くことを宣言した最初の人という扱いに留めた方が良いかもしれない。
  2. 俗にシュルレアリストとして知られる芸術家も、実際は一時的にシュルレアリストだったことがあるに過ぎない場合が殆どである。