スクールカースト

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
アンサイクロペディアでユーモア研究生の暇人達が、「スクールカースト」の項目を執筆しています。

スクールカーストとは、日本ではゼロ年代になるまで都市伝説の一種と思われていた階級制度。

概要[編集 | hide | hide all]

スクールカーストは古代インドにおけるカースト制度のような社会階級制度で、学校内の秩序と治安を維持するためのものである。基本的には「容姿」「能力」「人格」の三本柱によって所属する階級が決まり、上の階級ほど高い権限を持ち下は従えられることになる。例えば三つの要素すべてが高い水準にある生徒と、どれも芳しくない生徒がいたらどちらが上になるか、言うまでもないだろう。ただし小学校の場合はこれに「体育」が重要視されるし高校では「将来性」が加味される。実際のカーストと異なり、スクールカーストは個人の能力から診断された「評価」であるため何処へ行っても低カーストの生徒は低カーストに組み込まれる。

欧米では早くからスクールカーストは認知されており、「カースト制度の否定」よりも「被差別階級(アウトオブカースト、日本でいう穢多非人)にならないように、今のカーストに留まる」事を念頭に置いて教育が行われてきた。映画『アダムス・ファミリー』で、フェスターおじさんによって子供たちがボーイスカウトに放り込まれ嫌々ながら「明るく楽しい、子供らしい生き方」を教育されそうになるシーンがあるが、欧米圏でボーイスカウトといえばこの通りの性格矯正施設である。余程卓越したスキルや頭脳がない限り暗くインドアな子は生きていけない社会なので、早いうちに「ちゃんとした人格」に直してあげるのが親のやさしさなのだ。

都市伝説扱いの背景[編集 | hide]

ではなぜ、日本では都市伝説なのか。それは戦後の教育崩壊のせいである。戦前までは高かった教育の質も、ベビーブームにより掃いて捨てるほど生まれた団塊世代が就学年齢になったことで大崩壊した。一人ひとりの面倒などとてもみられず「親はなくとも子は育つ」を合言葉にして子供一人当たりの世話料は一気に低下。教師も「どうせ他人の子だ」とおざなりになり、何かあっても「子供は放っておけば仲良くなる」「大人が介入すると話がこじれる」と全力を挙げて見逃した。

そうやって腕白に逞しく乱雑な育ちかたをした子供たちが大人になった結果「わがこうにいじめのじじつはありません」と胸を張ってしまうバカ教師と「わたしたちのえいきょうりょくは、めでぃあのあしもとにもおよびません」とテレビや新聞にクレームを垂れ流すだけのバカ親が溢れかえることになった。

そんな彼ら彼女らに、面倒なことが理解できるわけもなく「子供にはそんな、差別的なこと考える頭はない」と自分の無能さを鑑みてスクールカーストという「目の前にあるモノ」を全力で無視した結果、「見えないものは存在しない」ということでスクールカーストは都市伝説となったのである。あな、わびし

児童生徒のみなさまへ[編集 | hide]

ここまで読んで、学校内の人間関係が一気に後ろ暗いものになってしまった子もいるだろう。自分が蹴り落されないか不安で仕方ない子もいるだろう。

でも、安心してくれていい。ここはウソペディアなのだ。

ここまでの全文はいい歳したオッ…大人が悲惨だった学生時代を回想しながらでっち上げたものに過ぎない。君がどんなに劣る人間であっても、被差別民にまで落ちるようなことは無いだろう。そう、無いのだ。見えないものは存在しない、中央線に咲く赤い花など存在しない。突然「転校」したアイツも、部活でヘマをして以来学校で見かけないアイツも、きっと大丈夫だ。

君が「ちゃんとした人間」でいる限り、何の問題もない。

関連項目[編集 | hide]