ユーモア

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
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ユーモア(:humo(u)r)とは、感覚的な笑いにおいて重要とされる湿気体液のようなもの、あるいはそれに由来する感覚的な笑いである。

歴史[編集 | hide | hide all]

ヒポクラテス四体液説を唱えた頃には、既にユーモアの原語「フモール」が存在していたことが確認されているが、この頃ユーモアは、人間の体液を指し示していた。時代が下るにつれて、ユーモアの意味には「湿度」「湿気」などが加わったが、当時はまだ、笑いとの関連性を持つ意味は存在しなかった。ユーモアとは、人間の体液であり、湿気であり、その生存には必須だとされていたが、何故必須なのかは十分には解明されてはいなかった。

15世紀に入り、英国で気質喜劇が流行するに及び、ようやくユーモアに一種の「笑い」を指し示す現代的な意味が加わり、ユーモアの必要性が認識されるようになり始めた。今では、ユーモア、あるいはユーモアの感覚(sense of humor)は、常識と並び重要な感覚だと主張する声もあるほどとなっている。

特に現代西洋医学では、ユーモアの感覚が豊かな人は平均的な健康寿命が、ユーモア欠落症の患者に比べて5年から10年ほど長いということが報告されているため、最近ではダイエットエクササイズと並ぶ健康法として、ウソペディアンデビューが奨励され始めているほどである[1]

定義[編集 | hide]

歴史は分かっても、現代的なユーモアの定義が分からないのでは仕方がないだろう。ユーモアとは、体液や湿気のバランスが一時的に崩れるほど強烈な感覚刺激で、かつ人々に笑いをもたらすものであると同時に、そのような刺激によってもたらされた笑いのことも指す。

但し、体液のバランスの崩れ方には文化性別年齢知能レベルに依存した多様性があるため、ある人がユーモアと捉える事象も、別の人にとってはユーモアだと思われないことがあったりする。賛否両論に別れやすいユーモアには、エスニックジョーク下ネタドナルド・マクドナルドネタ、何でもかんでも病気と認定したがる症候群患者が作成するMediaWiki関連の内輪ネタ医学記事、及び下手に感覚性を捨てようとしたがるインテリ達が多用する知的ユーモアなどが挙げられる。

ユーモアは病気か[編集 | hide]

ユーモアの研究に明け暮れる研究生によると、ユーモアとはある種の伝染病であるらしい。しかしながら、その症状を詳細に見ると、これは笑い全般に見られる症状であり、アンサイクロペディアンの研究においては笑いとユーモアの区別が適切にできていないことが認識されるのみである。上述したように、ユーモアは健康寿命を引き延ばす効果があり、ユーモア欠落症はあれどもユーモア過剰症は今のところ知られていない[2]ので、病気と称するのは不適切である。

但し、ユーモアには伝染性があることそれ自体は、医学的にも報告されていることは注記する必要がある。

研究によると、ユーモアの媒介は、日本語特有の読み物としての「空気」であることもあるが、殆どの場合は飛沫でも空気でもなく、常識である。常識と書いてしまうと分かりづらいが、ユーモアがセンスの上に成り立っていることを考えれば、common senseがその媒介となっているのは殆ど明らかなことであろう。

知的ユーモア[編集 | hide]

ユーモアの中には、知的ユーモアと呼ばれる、一定の知性知能知識のいずれか又は全て)が必要とされるものがあるが、これはユーモアとしては邪道であり、正確にはエスプリウィットと、ユーモアとの「あいのこ」である。知を感覚のように身に着けている気になっているインテリ等は、これが不自然なユーモアだとは考えず、知的ユーモアこそユーモアの王道だと考えたがる傾向があることが知られている。

ユーモアと言葉遊び[編集 | hide]

言葉遊びを含むユーモアは、言語を超えた翻訳が難しいユーモアだと一般に考えられている。意味ではなく、音感や言い回しなどに、そのユーモラスなポイントが含まれているからである[3]。例えばおせっかいなどは、あなたさんならどう訳するかね?

ユーモアとイギリス[編集 | hide]

ユーモアの本家本元は、ダウンスケーリングなユーモアを得意とするイギリスだとされている。これは恐らく、ロンドンのように年中に覆われていて多湿な地域が文化的・政治的な中心地となっているからであろう。

但し、イギリスのユーモアは必ずしも単純な笑いではなく、時には泣き笑いに近いものも存在する。霧に覆われていて、湿度が高くなりすぎたためであろう。

ユーモアとアメリカ[編集 | hide]

同じ英語圏でも、アメリカのユーモアはアップスケーリングの傾向がある。これは、広大な土地を開拓しつくすために大げさな文言を放つ必要性があったからだと考えられる。

ユーモアとエスプリ[編集 | hide]

エスプリウィットは、ユーモアに比べて知的で、ドライであるため、イギリスのユーモアのように人々を泣かせる余地などは微塵も残さない。又、ユーモアが体液由来で原則的に万人に見られるのに対し、エスプリは理解するためには高度な知性が必要とされるため、エスプリ使いはお高く留まっていると勘違いされる恐れがある。

ユーモアと日本[編集 | hide]

勤勉極まりないモーレツ社員が多い日本は、国全体がユーモア欠落症気味だと考える人もいる。しかしながら、世界最長寿国の常連であることからも分かるように、実際にはユーモア欠落症であるとは考えにくい。その証拠に、日本語版アンサイクロペディアはポルトガル語版・英語版に次ぎ世界第3位の規模を誇り、アンサイクロペディアだけでは事足りなかった人々がウソペディアを開拓し、中堅言語版アンサイクロペディア程度の規模に既に載せているほどである。

歴史を繙いても、日本では江戸時代の時点で既に落語狂歌滑稽本などの爛熟した大衆的な笑いが存在しており、シェイクスピアが嘆いたという滅茶苦茶な自称ユーモアが乱立したイギリスにも引けを取らないほど、独自の笑いを追求する方法を持っている[4]。現代においてもその流れは笑点漫才コントなどとして引き継がれており、政治ネタこそ若干弱いものの、全般的に見て誠にユーモアにあふれているのである。

脚注[編集 | hide]

  1. アンサイクロペディアンデビューは推奨されない。既に存在するため新規立項ができない記事も多く、積極的にユーモアのセンスを磨こうと独自路線を追求したらNRVが貼られるなど、許容されるユーモアの範囲も狭いからである。ただし、LTAスパムに攻撃されることが少なく、50000記事を超えても成長が続いているポルトガル語アンサイクロペディアなどは、教科書代わりにはできるかもしれない。
  2. 過剰なユーモアなるものは、万一存在したとしてもユーモアとしては受け取られず、「ふざけている」「チャラい」などと認識されるのがオチだろう。
  3. 但し、意図的に翻訳で生じた齟齬を利用した言葉遊びなどは、当事者となっている二つ(以上)の言語の中では通用する可能性もある。例えば秀逸多すぎなど。
  4. ちなみに、ユーモアの訳語の一つが「有情滑稽」であることからも分かるように、日本の「滑稽」はユーモアよりも更に広い概念であり、エスプリ・ウィットから下ネタまで幅広く網羅している。