明仁

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
上皇明仁から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動

明仁(あきひと、1933年12月23日 - )とは、日本上皇である。

概要

昭和天皇と異なり、日本国憲法の下で即位した初めての天皇少子高齢化が進んでいる日本の象徴となるため、わざわざ55歳になるまで即位を遅らせ、最初から比較的高齢の帝として即位した。また、技術立国の象徴、海洋立国の象徴としての側面を見せるためハゼ学者になり、いくつかの新種の発見を行い、後にAkihito属の献名を受けた。これは、決して天皇の顔がハゼのようだからではなく、あくまで海洋立国日本の象徴としての公務の一環である。

最近は、定年を持つサラリーマンの代表として[1]生前退位の意向を固めており(2019年4月30日退位)、上皇として老後を体験することすら試みるなど、最後の最後まで日本の象徴であろうとしているようである。

人物

超高齢日本の象徴として戯画化された明仁。勤勉過ぎてユーモア不足気味である。

日本の象徴であり、シルバー民主主義の象徴でもあるので、現在は大変高齢である。

若い頃から将来的な日本の象徴になることを意識しており、皇太子時代には、学習院大学留年することとなると、敢えて正規の学生をやめて、貧乏学生さながらに聴講生の身分としての勉学に励んだり、当時の日本では代表的な病であった結核にかかってみたりしているほか、イギリスエリザベス女王の即位式では天皇の名代を引き受けて象徴になることの事前練習すら行っている。ちなみに象徴天皇制がなかった幼少期にも自ら疎開を体験したりしているので、恐らくは敗戦と戦後象徴天皇制を予見していたのだろう。若き日から、誠にシンボルとしての素質に長けた人物だったようである。

即位後は順当に公務をこなし、「勤勉なる日本人」のイメージの象徴として、内外で活動していたが、右翼の持ち上げやメディアによるタブー視、更には宮内庁によるイメージコントロールの結果、勤勉さばかり前面に押し出されたユーモア欠落症の堅物として描かれ過ぎているようである。その証拠に、最近の口は、「心を痛めております」である。

東日本大震災などがあったとはいえ、ただの心痛から更に一歩踏み出した表現はできずにいる。雅楽など、平安の昔から続く古典芸能には明るくても、内裏の外で生まれた落語等の日本の大衆ユーモアとは距離を置いてしまっているため、あるいはイメージコントロールのせいではなく本当にユーモアのセンスがなく、それ故に風刺される隙も失っているのかもしれない。だが、少なくとも、明仁を風刺画として描けば、超高齢社会としての日本の良いカリカチュアになるだろうから、カリカチュアを好む外国から見れば中々悪くはない象徴かもしれない。

こうして、風刺の隙が少なく、ユーモア不足気味であることは、イギリス王室の人間がユーモア風刺の対象となることで本家本元のブリティッシュユーモアのレベルを高めてきたのとは対照的だと言わざるを得ない。実際、風刺サイトアンサイクロペディアでさえ、その内容は随分と歯切れが悪く、「大本営認可」の体の良い内容しか書けない状態になっている[2]

エピソード

  • 皇太子時代は、日本が敗戦を経てもはや戦後ではなくなり、高度経済成長に入り、四大公害病が深刻化したり、外来種に悩まされたりし始めた時期でもあったため、自らもブルーギル養殖と放流を行い、外来種問題の自己言及的表現をされたりもしている。
  • 象徴的存在たることを意識し、華族制度が廃止になったことも受け、妻には敢えて皇族でも華族でもない民間人を選び、50年代当時人気のあった映画ローマの休日』に見習って一時的に銀座に脱走するなど、若い頃は国民受けを狙ったパフォーマンスもあったようである。
  • 生前退位のせいで、2019年分のカレンダーの年号が不明となり、業者は迷惑しているようである。勿論、年号など捨てて西暦だけで表記すれば一切問題は起こらないのだが、いかんせん官公庁は未だに年号による表記をメインとしているのだから、お察しするしかない。

脚注

  1. 一斉就職制度がある日本では、典型的な生産階級はサラリーマンになるため、これも日本を象徴する行為である。
  2. 明仁参照。

関連項目