人生

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』

人生(じんせい、:life)とは、人がプレイする又はゲームである。

典型的な人生[編集 | hide | hide all]

0歳
第一幕(乳児編)
原始的な世界観を徐々に広げ、「おともだち」を作ることを学ぶ。
6歳
第二幕(小学校編)
義務教育が始まり、簡単な知識を身に付ける。と同時に、男女意識も少しずつ育ち始める。
12歳
第三幕(ティーンエージャー編)
所謂思春期に差し掛かり、初恋失恋自己完結型の性体験などを経験する。教育水準が少しずつ高まるが、義務教育(中学校)や標準的な教育(高等学校)でありながら、意外と日常生活を離れた内容になって来る。裏モードとして、「いじめっ子編」「いじめられっ子編」が存在する。
18歳
第四幕(青春編)
青年期とも呼ばれる時期。大学に進む者もいれば、就職して働き始める者も出てくる。若さ故に高い理想を抱きがちだが、同時にその挫折を経験する時期ともなる。うっかり挫折しそびれた者は「インテリ編」なる裏モードに入っていく。一方で、挫折し過ぎて職に就く気を失えば、別の裏モード「ニート編」に入ることができる。
22~26歳頃
第五幕(青二才編)
一部の天才や意識高いまま起業しちゃった人を除いて、多くはサラリーマンなる職に就き、給料である会社に仕える身となるか、世襲制の医者農家などの家業を継ぐ道を選ぶ。江戸が思ったほど華の都じゃないというので田舎に帰る者も出てくる一方、中には思い切って海外に飛び出す者もいる。いずれにせよ、まだまだ「若者」「青二才」扱いされ、中々厳しい修練に耐えさせられる羽目になる。
30代~50代頃
第六幕(モーレツ編)
特にサラリーマンであれば、モーレツ社員になることが期待され、づき合いも良く、適度に生活習慣病予備軍ながら発症しないで済ませられるラインを渡り歩くことが望ましいとされる。現役バリバリと呼ばれる時期で、徹底的に働き尽して社会貢献することが求められる。但し、中には結婚と同時に退職して、裏モード「専業主婦専業主夫編」に入っていくプレイヤーもいる。
60代
第七幕(初老編)
そろそろ老人になり、老後の有閑生活に期待を馳せるようになる。但し、定年が引き上げられていく傾向があるので、何とかもう少し働かざるを得ないことも多い。一部の人間は50代で早期退職し、早くから有閑生活を楽しんでいたりもする。
80代
第八幕(死)
有閑生活に対して時間は割けず、誰かのために働き尽しているうちにいつの間にか、はひたひたと迫り、時に認知症等との闘病プロセスを挟みつつも、人々の人生の幕を下ろす。裏モードに入った人々も、結局は死による終幕を逃れられないが、中には100歳あるいは120歳までも延命に成功するプレイヤーも少数ながらいる。
外伝
夭折編
中には、典型的な人生プロセスを踏まずに、若くして死没する人間もおり、ある種の悲劇、あるいは人生の空しさを笑い飛ばすための喜劇として他者の人生に影響を与える。夭折者の中には、自ら終幕させる自殺者も含まれるが、不慮の事故や病気によるものも、一定数存在する。

人生は喜劇か悲劇か[編集 | hide]

人生は悲劇とも、喜劇とも捉えられる。人生は空しいものであるが、その空しさを笑い飛ばせば悲劇的な喜劇[1]に、空しさを神妙に嘆いて見せれば喜劇的な悲劇になるのである[2]

この節は、執筆者が、面倒臭いので途中で放棄したか、または途中で寝てしまったので、現在書きかけです。あなたによる嘘でも楽しい加筆が望まれています。よろしく頼みましたよ。

ゲームとしての人生[編集 | hide]

人生はによって必ずゲームオーバーすることが知られているが、その限られた時間の中で、幸せ社会的地位を獲得し、ハイスコアを目指すのがゲームとしての人生である。

金に関するハイスコアは、ご丁寧にも毎年フォーブスが出してくれるので分かるが、社会的地位に関するハイスコアは何を評価基準とするか[3]によって変動し、ましてや幸せは全く個人によって異なるので、総合的なハイスコアランキングは非公開であるとみて良い。

しかしながら、多くの人はそれなりに上位だろうと楽観バイアスを抱きながらぬので、少なくとも幸せの面では誰もがそれなりにスコアを稼いでいるのだろう。

脚注[編集 | hide]

  1. その笑いは、絶望を前にした無力感を伴っているからである。
  2. 人の不幸は蜜の味、とはよく言ったものである。
  3. 芸術の道を究めた芸術家、経済界のトップに登った会長、世界最強国家の元首の道を究めた学者など、いずれも甲乙つけがたい。

関連項目[編集 | hide]