南極事件 (1998年)

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南極事件(なんきょくじけん)とは、1998年に剛田武のび太国首相(当時)により起こされた一連の国際法違反事件の総称である。

一連の流れ[編集 | hide | hide all]

事件前の動機[編集 | hide]

1997年春に友好国である中国北朝鮮にロシアを交えて行われた世界の国家支配と領土の確定会議(実質的には世界征服会議)が行われ、その結果。のび太国はドラえもん氏の存在から、電波と地球の磁力と重力を用いた22世紀の観測技術「電磁気波観測システム」を用いて北極海に北極電磁気波レーダー観測船、南極大陸の南極野比基地付近に南極電磁気波レーダードームを建設する事が決定された。

この計画に沿って、ドラえもん氏より提供された22世紀の技術品についての設計書を受け取り、それに基づいて同年5月、南極側の着工が行われた。本来、この施設は1997年7月初旬にも完成する予定で剛田武首相も出席する予定だったが、1997年6月完成間近で何者かによってレーダーの一部が破壊され、復旧工事含めて12月頃になるだろうとした。外務省大臣はこれについて剛田武首相に報告したが、上手く伝わらずに単に来るなという風に伝わってしまったが為に殴られかけた。その後も剛田氏は抵抗を続けたが、国総出で抗議を受けたことから、個人の夏季休暇で行くことを決心する。

しかし、単身で一概に乗り込む事が不可能だと考えた剛田氏は、ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ氏(以下ムスカ氏)に協力を要請し、春日部国野原しんのすけ氏を騙して賛同に回し、ムスカ氏の船で南極へと出発した。

のび太国出発から南極到着まで[編集 | hide]

ムスカ氏の船で順調に出発したは良いものも、途中太平洋上空の北緯20度、沖の鳥島付近でムスカ氏の大敵であるパズーに発見され、リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ氏(以下:θ)を同行しての攻撃を受ける。何とか大砲で反撃するも、巧みな作戦に停滞したが為に剛田氏がムスカ氏に激怒。大砲操作をしたが、それでもハエのように逃げた為、遂に痺れを切らした剛田氏がドラえもん氏より預けられた秘密道具「のびのび網」で捕獲。パズーとθをギッタギタに殴り、ジャイアンリサイタルを聞かせた上に海の岩礁に蹴落とした。

その後の南極への到着寸前、今度は南極海で暴れ回る海賊集団に襲われたものも何とかして撃退し、出発から、1週間以上掛けてムスカ氏の船が南極ののび太国船着場に到着した。

ブタゴリラジャイアン闘争事件[編集 | hide]

到着した翌日の7月5日、南極移住計画をしていたブタゴリラ氏と闘争になり、乱闘を繰り広げる。何とか、最終的に剛田氏が勝利したが、氷山を破壊するなど中々大掛かりな問題事件となった。

日本国南極観測官拉致事件[編集 | hide]

7月8日、剛田氏は南極の建設予定地に到着。建設していたのび太国建設省の職員より何者かに破壊された趣旨を伝えられ、激怒。日本がやったと決めつけ、日本の基地周辺で観測官3人を騙して施設内に拉致し、白状しろと暴行にまで行った事件。結局どこの国か答えなかった為、取り敢えず友好国除く全ての国の全基地を爆破すると決めた。

南極基地一斉爆破事件[編集 | hide]

7月16日日本時間午前7時53分、南極の基地に仕掛けられた時限爆弾により一斉爆破が行われた。

テロリストによる犯行と当初は見られ、全世界のテレビや新聞などで報じられるにまでなり、世界中が大騒ぎとなった。また、統計によるとこれによって58人が死亡。166人が負傷を負う大事件となった。

その後、国連は急遽南極基地観測官に対して全員退避を勧告。全員退避させた後、テロリスト捜索の為にCIAを派遣しようとしていた。

南極事変[編集 | hide]

全員退避が完了した7月19日に。CIAが南極に到着して捜索開始までにヘリコプターの速度を考えると余裕があると考え、誰もいなくなった隙に南極大剛田帝国の建国宣言を実施。南極大陸が不法占拠され、沿岸には軍隊やスパイク付き戦車が置かれた。

犯人の確定[編集 | hide]

当初、国連から派遣されたCIAは軍隊に攻撃されながらもテロリストを捜索したが見つからなかった為、8月9日に急遽内部テロに切り替えて捜査を開始、滞留していた中国・のび太国・ロシアの観測官らに尋問を行なった所、8月14日に剛田氏が犯人との疑いが強まる。その後ののび太国建設省関係者の証言から16日には犯人を剛田武氏に確定し、国際指名手配を実施。

これを知った剛田氏は側近らを残して南京に逃亡した。

南京逃亡から逮捕まで[編集 | hide]

中国政府から擁護を受けた剛田氏だがCIAの捜査に不安を感じ、首都の北京に9月初旬に移住。9月半ばに軍部を連れての樺太視察が確定し、視察を開始した。

9月26日。ユジノサハリンスク(豊原)で、軍部らと喫茶店で寛いでいた所。視察ルートを極秘に中国政府から盗み出したCIAにバレていた為に挟み撃ちにされ、そのまま同日の現地時間午後3時に逮捕された。

逮捕後[編集 | hide]

逮捕後すぐの14:17に国営放送ののび太中央テレビは、剛田氏逮捕に伴う緊急放送を実施。剛田氏は、逮捕後の懲役について当初性格などの理由から刑をある程度免除した12年とされる予定だったが、中露の圧力で結局懲役2年となった。

また、1999年2月に行われた臨時国会では剛田氏12年間弾劾法案が可決され、2011年2月度までは別人の首相を立て、弾劾終了後に剛田氏を復帰させる意向となった。

釈放後の2000年にも南極移住未遂を企てるが、結局阻止されてザラになっている。

関連項目[編集 | hide]

 

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