多芸は無芸

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多芸は無芸(:Jack of all trades and master of none)とは、多数の芸を持つことが、無数の芸を持つことに漸近するということを表現した言葉である。

概要[編集 | hide | hide all]

これは多芸に打ち込みすぎて肉を失った例。

遥か昔、ルネサンスの頃には、レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロ・ブオナローティなど、所謂万能人と呼ばれる人材が活躍していた。彼らは、知性にも芸術にも優れ、無数の芸を身に着けていた。日本でも、全てが専門化する前は、和歌に優れ、蹴鞠に優れ、笛にも優れた公家や、武道と漢才を兼ね揃えた文武両道の武家などが尊ばれてきた。しかし、誰でも最初は一年生であるのと同じく、どんな多才な人間も、最初の一芸を身に着けることからスタートする。このことから、多芸は無芸とは、一芸、また一芸と新たな芸を身に着けていくことが、最終的には無数の芸を獲得することにつながる、という意味で本来は使われていた。

誤訳と誤用[編集 | hide]

しかし、明治時代文明開化の波に乗って、"Jack of all trades and master of none"という英語のことわざが入ってきたことで、全ては変わった。このことわざを字義どおりに訳すと、「(多数の)技芸全てをこなすが、どれのマスターでも無い」となり、翻訳として、日本語があやふやな帰国子女が勝手に縮めて「多芸は無芸」と訳してしまったことで、この言葉は、それ以降「器用貧乏」とほぼ同義語として扱われることになってしまった。

背景[編集 | hide]

この誤用が広まった背景には、「多」と「無」の複雑な関係性が存在する。多数と無数、そして無限のように、「無」という言葉は、「多」の延長線上として使われることがある。一方で、「虚無」や「皆無」のように、存在しない、ゼロという意味で使用されることもある。この場合は、「無」は、「有」そして有の複数である「多」と対峙することとなり、無数の「無」とは、まるっきり逆の意味を持ってしまう。

後世の研究家は、これを根拠に、誤訳した帰国子女が恐らく「無」の"none"としての語法しか知らずに、何となく聞いたことがある言葉を当てはめて、「多芸は無芸」と表現することにしたのではないか、と推測している。

現在[編集 | hide]

誤訳から発生した誤用が浸透してしまった現在においては、もはや「多芸は無芸」は、「器用貧乏」の意味にしか使われない。その理由の一つに、産業も学術も複雑化・肥大化して、一人の人間のキャパシティでは、一芸をマスターするか、多数の芸をそれなりにこなすかしかできなくなってしまったからである。

つまり、から出た誠であり、誤用だったものが、実際に、多芸を試みると一芸も身につかないという悲惨な状況になってしまったために、却って現実を反映するようになってしまったのである。

関連項目[編集 | hide]

Red2.png この記事「多芸は無芸」は、第3回赤色執筆コンテストで、2位入賞したとガチで強く認められております[ウソペディアンの独自研究]
シャア・アズナブル大佐もこの記事に感心しております。
「更にできるようになったな、多芸は無芸!」
普通に入賞した多芸は無芸 について、シャア・アズナブル大佐