天皇

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天皇(てんのう、:Emperor of Japan)とは、日本皇帝であり、日本国と国民象徴であり、1000年以上政治道具となってきた存在である。

歴史

元々は1500年ほど前の大和政権の長である、大王おおきみとして、現在の奈良県を中心とする近畿一帯を支配していた豪族連合の長だった。

古代

が、飛鳥時代から奈良時代に真似て、平城京を作ったり律令制度を整備したりして、更に国家権力を高めるために権威づけを欲した政権幹部は、ユリウス・カエサル及びそのの初代ローマ皇帝アウグストゥスがその祖先をミネルヴァや伝説的英雄アエネイスに求めたりしてきた先例をシルクロードを通じて伝え聞いたのであろう、ふと真似しようと考えつき、政治的な道具としての利用を始めた。こうして、天皇はまず、『古事記』及び『日本書紀』で、天照大神の血を引く神武天皇を初代とするの血筋として、1000年以上ありもしなかった歴史を遡らされることとなる。戦前用いられた皇紀紀元が2600年以上にもなっているのは、その名残である。

奈良時代には藤原氏道鏡や寺社勢力が天皇を政治の道具とし、天皇を操ることで事実上の支配を目論んできた。これに嫌気がさした桓武天皇が、長岡京遷都を挟んで、794年平安京に遷都し、平安時代が幕を開けると、一時的に天皇の政治的な影響力は回復したが、再び藤原氏が摂関政治を敷き、摂政・関白として実権を掌握し、天皇はその権威づけのための飾り、あるいは氏族権威づけのための政略結婚先として道具に成り下がる。藤原道長藤原頼通親子の時代を過ぎ、次第に藤原氏の影響力が衰え始めると、今度は白河上皇院政を敷いた。こうして、引退した天皇(上皇)が実権を取り、天皇の地位にあったことを上皇自らが道具として活用する時代がやって来た。

中世

しかし都は地方の事情に疎く、やがて地方に地盤を固めた武士が台頭する。桓武天皇の血を引く桓武平氏、中でも平清盛は、保元の乱平治の乱で勝利を収めて源氏を退け、藤原氏を模倣し、孫を安徳天皇として即位させ、僅か6歳の子供の権威にすがって一時の栄華を誇ったが、奢れる平家は久しからず、間もなく源頼朝源義経が率いた源氏の報復に遭い、壇ノ浦に沈むこととなった。その源氏もまた、清和天皇後を引く武家で、平家を煙たく思った上皇の支援の下で平家を駆逐、今度は彼らの権威に頼って征夷大将軍の名を受け、鎌倉鎌倉幕府を開いて政権を掌握した。

鎌倉に政府を置いた幕府にとって、遠い京都は最早用済みとなり、中でも源実朝で血筋が絶えた源氏に代わって、執権として実権を掌握した北条氏にとっては、京都の存在は目の上のたんこぶであった。それは幕府を抑えられない教徒側も同じことであったが、こうして天皇の唯一の役回りは、承久の乱で敗北することを通じて幕府の力を全国に知らしめることに限られた。その後は、天皇の即位・廃位を自由に左右することで継続的に幕府の力を示す道具として利用され続けた。

元寇を辛うじて撃退したものの、恩賞を与えられずに財政ごと傾いた鎌倉幕府への不満の場でも、天皇は利用された。後醍醐天皇はその象徴として倒幕の旗印となったが、やがて反足利尊氏の旗印にされ、一方の足利尊氏も北朝を立てて、ここに天皇家は分裂、双方ともに、主張の権威づけの道具として天皇を利用し続けた。やがて足利義満が南北朝を統一し、今度はまさにその統一によって、天皇は新たな幕府の力を示す道具となった。

近世・近代

以降、戦国時代に入ると影を潜めるが、かつてのように政治的道具として利用しようと考えていた大名たちがいろいろと保護した結果、何とかかんとか系統として存続し、江戸時代に入っても形式的に残され、幕府の権威づけに使われた。こうなると歴史は繰り返し薩長同盟を中心とする討幕派によって担ぎ上げられ、明治時代大正時代昭和時代と時の内閣軍部の権威付けに利用され、わざわざ古書を持ち出して名ばかりの神の名前すら与えられてまで道具としてとことん利用された。

戦後、GHQですら、天皇を道具として利用することに決定した。最高指導者の名を持つ以上、どう見ても戦犯認定を免れられない筈の裕仁だったが、杓子定規にその通りに処刑してしまうと国民の反乱が起こることが予想されたから[1]で、戦犯であっても道具として生かした方がマシ、という一種の司法取引か高度な政治的判断が行われたのであった。その代償として人間であることを宣言させられ、神の称号も神の血筋も剥奪されたが、何だかんだで今も国の象徴として生き残っており、革命でエチオピア王朝が途絶えた結果、現存王朝の中では世界最古の称号をも手にしているのである。

現代

現代においても、天皇制の維持はネトウヨを始めとする保守層のガス抜きに使われており、天皇はれっきとした政治的な道具となっている。しかしながら、言論の自由が認められた国でありながら、風刺の対象とすると菊タブーを持ち出す人々もいるなどの負の側面も目立っており[2]、反乱勢力にも利用されやすい存在であり続けてきたため、歴史的意義を除けば道具としての価値はそろそろマイナスに変わり始めているかもしれない。

天皇を崇めるとは

今尚、神道信者やネトウヨを中心に、政治的な道具以上の意味で特別に天皇を崇拝する傾向がみられる。しかし、天皇を崇拝するとは、原理主義的に考えた場合、いったい何を意味するのだろうか。

  • 近親相姦の容認 - 天皇の系図を繙くと、親族同士での交流が目立っている。中でも、持統天皇天武天皇などは、姪と叔父の関係でありながら結婚し、子供すら設けているので、そのような家系の崇拝はある意味では近親相姦の容認と捉えられてもおかしくはない。何せ、現人神でいらっしゃったお二人がやられているのだから、正しいはずだ。
  • 政治的分裂の容認 - 南北朝時代のように、トップが二人いることも容認しなければならない。戦前教育のように、南朝のみを正当と見なし、北朝を無かったことにしようというのでは、あまりにもご都合主義的である。まさか、天皇に即位しない限り、そして三種の神器を全て保有していない限り、血だけ入っていても神ではないなどとおっしゃるのかね?
  • 女性天皇の容認 - 歴史上、女性天皇も複数名おり、もっとも最近の後桜町天皇等は、僅か250年ほど前に在位であった。今でこそ万世一系の男性天皇が望ましいとされているが、当然のこととして女性天皇も認めなければならない。それとも、女性天皇は神ではないのかい?

脚注

  1. しかし少し前まで将軍様を崇めていた民衆がこうも簡単に天皇支持に切り替わったのだから、洗脳とは恐ろしいものである。
  2. その徹底したタブー視ぶりは、政治的に中道で、アンサイクロペディアよりも自由なはずのウソペディアでさえ、あるユーザーが明仁の記事を不敬だと言って騒ぐほどである。

関連項目