帰国子女
帰国子女(きこくしじょ、英:returnee)とは、若いうちに母国を離れた外国で生活した後、再び母国に戻って生活している人々である。しばしば日本語が微妙におかしい。
概要[編集 | hide | hide all]
親が海外で働いているのについて行ったり、留学したりして、ある程度の長期間海外で生活した後、母国に戻って生活することで、誰でも帰国子女になることができる。日本人学校に通った場合は殆ど外国語の能力が身に付かない上に日本語の能力が衰え、インターナショナルスクールに通った場合は、英語等の外国言語の能力を中途半端に身に着けることができるものの、やはり日本語の能力が衰えるため、いずれの場合でも日本での生活においてはしばしば浮いた存在となる。
この傾向ゆえか、早稲田や上智の国際教養学部と呼ばれる帰国子女向けコースに見られるように、帰国子女は帰国子女同士でまとまる傾向が強く、平均的な日本人とは異なる独自の文化を発展させる傾向がある。
特徴[編集 | hide]
帰国子女は海外の文化を直に体験しており、その影響を受けた言動を見せる傾向がある。このため、平均的な日本人に比べると意見をはっきり言ったり、グローバルな視座に慣れているためか、起業家精神を持とうとして意識高い系になったりする傾向が強い。
帰国子女の多くはFacebookとインスタグラムをやっており、しばしば英文と日本文を併記した投稿を行うが、併記されている内容が微妙にミスマッチだったり、何故か英語の投稿の方が自然な文体になっていたりすることも多い。
ex. When there's always consequences to your actions :( - バイクから転がり落ちた結果。。[1]
この文章の場合、前者の英文では「行動の結果」を悲しんでいるが、後者の和文を見ると、「行動の」結果とは必ずしも限らない。何故かバイクから転がり落ちたのであるが、何故バイクから転がり落ちたのか、それが他者との接触の結果(事故)なのか、うっかり乗り出したりなどしてしまった(真に行動の結果)のかは、誰にもわからないのである[2]。
ちなみにこの例における気になる「結果」は、「壊れたサングラス」であるが、アングルを工夫したからか、文章から想像する内容と比べるとそれほど重大事とは見えないからか、実物を見ると、そこにはどこかユーモアがある。イギリスやアメリカを中心とした英語圏帰りの場合は、帰国子女はこのようにしばしば平均的な日本人よりもユーモラスである。きっと、秀逸多すぎの英語版アンサイクロペディアや、風刺画溢れる風刺サイトに数多く接触する機会があったからだろう。
帰国子女の多くは、その言語センスを駆使しているからか、アンテナが尖っている分野を一つは持っている。ある帰国子女は旅行通、別の帰国子女はカクテル通、あるいは洋画通、シガー通、ファッション通…何にせよ、日本においてあまり知られていない分野に通暁していることが多い。
学校においては、帰国子女はしばしば留学生との仲の方が非帰国子女の日本人との仲よりも良かったりする。これは、留学生もまた平均的な日本人から浮かせられるマイノリティーであるが故の、マイノリティー同士の連帯感からだと心理学者は主張している。が、言語障壁が希薄であることも無視することができない一因であろう。
帰国子女の多くは、ただ偏差値が高いだけの東大生などは一生かかっても得られないであろう頭の回転の速さを持っている。この回転の速さゆえ、他の人が気付かないことに気付いたりする能力にも長けている。
このように、帰国子女は多くの面において非常に能力に長けているが、一つだけ弱点があるとすれば、やはり日本語能力が若干劣るという点である。多くの帰国子女は古文、漢文及び現代文の教科的な素養が浅く、僅かでも学生特有の衒学的な表現が見られれば辟易してしまうだろう。脳科学的に見れば、帰国子女の能力は、日本語能力を少々犠牲にして得た賜物なのである。
例外[編集 | hide]
以上は、原則としてインターナショナルスクールや大学など、日本人学校ではない学校に通っていた帰国子女の特徴である。日本人学校に通っていた帰国子女の場合、日本人同士で固まって生活し、海外文化と距離を置く傾向があるので、外国語能力などは無論身に付かないが、その割に日本語能力も落ちてしまうので、どうにも救いようがない。