心理学

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心理学(しんりがく、:Psychology)とは、人間精神のメカニズムを解き明かすことを目的とした学問である。但し、現時点では分かったつもりになっているか、分からないことが分かっているというのが関の山である。

歴史[編集 | hide | hide all]

葉巻を吸う。…ではなく、近代心理学の祖、フロイトである。

始まり[編集 | hide]

現代的な心理学は、ジークムント・フロイトによる無意識の発見を契機として誕生した。人間は、自分自身のことを分かっているつもりでいて、それすら分かっていない。そのことが見出されたことで、人間の心理を知ろうとする動きが生まれることとなった。これが、心理学の誕生である。

フロイトは、無意識のエネルギーはつまるところ単純で、セックス破壊に向かうと考えた。実際、人間が歴史の中で、スマホなどの文明の発達と関係なく継続して行ってきている行為は、性行為戦争の二種類だからである[1]。彼は、それらをそれぞれ、リビドータナトスと名付けた。

また、フロイトの考えでは、は、普段抑圧されたそれらの原初の衝動が、形を変えて発露される場だということになっている。簡単に言えば、普段からスケベ全開の亀仙人は、夢を見る必要性がないから、見ないであろう、ということが、この仮説から推測できるということである。

集合的無意識[編集 | hide]

ユング。曼荼羅に嵌るなど、どちらかというと心理学者よりは神秘主義者だった側面がある[2]

しかし、フロイトの考えるとおり、「必要なのはセックスと破壊だ!」という考えが、人間の心に潜むすべてだという主張は、あまりに単純化が過ぎるのではないかと考えた人たちがいた。その一人に、カール・グスタフ・ユングがいる。ユングは、曼荼羅などの仏教要素にもかぶれた影響もあって、世界の各民族の神話が、精神疾患患者妄想とそっくりであることを見出してしまった。そして、精神疾患患者たちはそれらの民族の神話を知らないはずであるから、彼は、この奇妙な一致には何らかの意味があるに違いないと確信した。

もちろん、一つの側面は、それらの神話が全て妄想だという、無神論への道を開くものであったが、ユングに言わせれば、そのような陳腐な結論よりも素晴らしい発見が見出された。それこそが、外ならぬ集合的無意識、人類が共通して持つ無意識である。人類は、共通して一種の神話的な知識を持っている。そして、そのような先天的な知識こそが、人類を形作る重要な要素になる、という主張である。

この点も、発見に至った経緯にはどうも神秘思想や宗教家に近い飛躍があったものの、ヒトゲノムの99.99%が共通していることを暴き出した[3]分子生物学や、精神が結局はの上で動くプログラムであることを解き明かしている脳科学とも矛盾する知見ではなく、現代心理学における大きなバックグラウンドの一つとなっている。

 

行動主義[編集 | hide]

心理学における無視できない流れの一つとして、行動主義が挙げられる。

脳の動きが分からなかった時代、人間の動きは、直接的には、あるインプットに対するアウトプットとしてしか見ることができなかった。そこで、インプットとアウトプットの対応関係を見出すことで、その対応関係を作り出すブラックボックスである精神の構造を解き明かそうというのが、行動主義の方法である。なお、さらに踏み込んで、インプット・アウトプットの対応関係の変更なども、構造が分かれば可能だと主張された。

簡単に言えば、「バカ」と言われて落ち込んだり、褒められて喜んだりする人間の反応を集積し、そこから人間の行動を予測したりしようという方法なのであるが、結局これは科学が普段から仮説作成→実験・検証→仮説の修正、というサイクルの中でやっていることそのものである。このため、現代心理学の実験的側面においては、この考え方は今に至るまで続いている。

工学的には、人間精神のリバースエンジニアリングを行う試みだと考えることもできる。車を走らせて、その動きから何故車が走るのかを理解しようとするようなものであり、人間は車と異なり生きている間は分解できない[4]ので、この手の試みは非常に有用だと言える。

現在[編集 | hide]

現在の心理学は、他の多くの学問と同様、複雑怪奇、政党も顔負けの離合集散を繰り返しながら発展している。ことに、隣接領域としては、哲学脳科学精神医学などが存在するほか、歴史を通じて常に宗教疑似科学とも近接した関係を維持してきた。

そうして、時に文系、時に理系として扱われつつ発展はしているものの、人間心理を把握し、一定の結果を安定して得る心理工学の段階には、まだ殆ど到達できておらず、なまじ心理学の知識などないサイコパスの方がこの方面では優れていることすらあるぐらいであり、全般としてはまだ発展途上と言えるであろう。

しかしながら、このことは情弱コミュ障の殆どには知られていない。ある研究によると、情報弱者レベルとコミュニケーション障害者レベルのいずれでも高い数値を弾き出した学生の7割が、皮肉なことに「モテたくて」心理学に興味を持ち、中でも3割ほどは実際に心理学を専攻して心理学者になるが、心理学の学習後の恋愛経験は、有意な改善が見られないか、むしろやや悪化するほどだったという[5]

心理学と哲学[編集 | hide]

ジャック・ラカン。哲学的に心理学の擁護を行った。

心理学の大きな潮流は、哲学と密接なつながりを持つこととなった。多くの科学がその母胎を自然哲学に抱えているのと同じで、まだ科学としての心理学が未熟である以上は、思考実験を繰り返し、考察を行う、哲学的な段階が必要だったからである。

哲学的な側面からの心理学の補強を行った人物には、ジャック・ラカンがいる。

ラカンによると、世界は、精神構造上は、現実妄想と、そのいずれをも表現しようと試みる象徴とに分かたれる。元々は自身が全能であるという妄想の中で生きている子供は、他者との触れ合いによって象徴、すなわち言語の世界へと引きずりおろされる。

泣けば構ってもらえる時期は過ぎ、言葉で伝えなければ欲しいものも手に入らない世界へと巻き込まれた子供は、象徴=言語を習得するが、それは不完全なものであり、現実も妄想も十分には表現できない。もちろん、言語が不完全であるからこそユーモアを以て描写することもできるのだが、いずれにせよ、そのことへの気付きは、根源的な無力感へと自らを導く。人間は、それをごまかすために自我を持つことになるが、自分探しはしても見つからないと同時に、そこにいる自分そのものが答えということにもなる。

こうして、何かするために言語は必要だが、言語では完全なことは何一つできないという宙ぶらりんの状態に置かれるのが人間であり、その真実を見つめてしまうと、ニヒリストになるか、哲学者になるか、精神疾患を発症するか、それとも自分でケリをつけるかしかなくなってしまうから、健康体は自己欺瞞の中で生きていくしかない、というのが、ラカンの結論である。

要するに、健康であるためには、適度にをつくウソペディアンにでもなるしかないのである。もちろん、インテリ等にはなってはいけないし、それぐらいなら何も知らないバカ二でもなっておいた方がまだマシなのである。

反論[編集 | hide]

しかし、こんな悲観的な結論しか描きだせない心理学であれば、当然反論も生まれる。

第一に、哲学の世界に入って語ろうとしながら、実際にはなどの数式を尤もらしい顔をして用いている。哲学に数学を混ぜ込むことは、ヴィトゲンシュタインも含め多くの学者がやっているが、問題は、それを科学としての側面もある心理学で、十分な検証なしに行っている上、よく見るとその数式自体が肺炎誘発性極微小シリコン火山粉塵症といい勝負にナンセンスで意味がない。これでは、ただ尤もらしく見せるために書かれただけではないか、とするものである[6]

第二に、ポリティカル・コレクトネスを満たさず、男尊女卑的だとする主張である。これは、ラカンが子供の全能感の剥奪を「去勢」と呼んだり、その剥奪者を「」と呼んだりしており、全ては男性視点で説いているではないか、ということからくる指摘である。先達のフロイトがエディプス・コンプレックスを持ち出したことも問題視されたが、彼がエレクトラ・コンプレックスも用意してうまく逃げ道を作ったのに対し、ラカンはそれすらしなかったので、フェミニスト達に言わせれば、せいぜい男性にしか当てはまらない、ということになる。

第三に、せっかく科学としての道を歩み始めた心理学を哲学に戻すこと自体を批判する声も存在する。思弁をいじくってドヤ顔したいだけなら、18世紀にでも行ってください、という訳である[7]

心理学と宗教[編集 | hide]

心理学は、魔法の水晶玉ではない。が…

心理学と宗教も密接なかかわりを持ってきた。そもそもフロイトを含む心理学者の多くがユダヤ人であったことから、ナチスに言わせれば邪宗の学問として弾圧される理由となった経緯がある。

しかし、実際には、ユダヤ教のみならず、キリスト教から、昨今の教団、はたまた巷の占い師に至るまで、最も原初的な心理学のノウハウを使って、信者を増やそうと試みてきたのは、今となってはかなり明らかになっている。

最近使われる手法には、にでも当てはまりそうな抽象的かつ解釈のしようがいくらでもある曖昧な「予言」を行う、暗闇へと導き、原初的な不安をあおる、信仰のない人の末路などを語り、恐怖心を掻き立てたうえで人を安心させるようなデタラメの説法を行ってありがたがらせる、薬剤投与して幻覚を見させる、などの方法が挙げられる。しかし、歴史をひも解くと、魔女狩り異端審問拷問等々、さらに過激な方法を使ってきたことも知られている。

これは、宗教が、結局は信者からを集めて成り立つビジネスであり、うまく信者が集まれば高官は甘い汁を吸えるが、そうでなければ即露骨に露頭で乞食[8]でもやらないといけなくなるような、巨大な乞食産業であり、あらゆる方法で人間を操って寄付させる方向へ持っていく必要性があったためである。

この意味で、心理学は、宗教的観点からすれば、物理学などの他のどの科学よりも強く研究が推奨され、かつ彼ら自身が、良くも悪くも発展に貢献する必要性があって関わってきた学問なのだと言える。

心理学と科学[編集 | hide]

ヒトの脳。人間心理の動く舞台であるが、MRIなしでは直接読むのは困難であり、通常は表情などから人間心理は読み解かれる。

現在の科学的見地からの心理学の補強は、研究者レベルでは、宗教家に比べると随分と純粋な動機でなされている。

人間精神が動くのは、の上であることが分かっているから、脳科学に基づき精神疾患や健全な精神の活動と関連の深い部位を特定し、その部位の生化学的な活動を研究し、その結果を医薬品として反映し、精神医学に役立てる、というのが基本的な流れだからである。

しかしながら、CIAを中心とした自白剤の研究を含め、軍需産業DARPA、あるいは製薬会社などのバックアップがついているケースでは、より俯瞰的な視野に立つと、それぞれの思惑が絡んで研究が進められている。製薬会社の支援する研究では、薬を売ること自体を目的として、ともかく新たな病気の発見が推奨され[9]、軍からすれば、反戦活動家や軍人の精神統制、究極的には制御が期待され、そのための人間心理の解明が期待されている。

とはいえ、現時点では、他の多くの科学と異なり、心理学的な「テクニック」の効果の多くは精度が芳しくない[10]か、宗教団体が乱用する者のように安全性に乏しいものばかりであり、工学的な応用が可能なほどには、人間は自らの精神一つ分かっていないというのが実際のところであるため、今後に期待される。

心理学の限界の悲観的予測[編集 | hide]

しかしながら、このような期待に反する、悲観的な予測も存在する。心理学の対象は、研究者と同等の知性を持つ人間であるが、ある知性には、その知性と同等以上の別の知性を完全に把握することはできない、というものである。

早い話が、同じレベルの知性がの裏を読み合えば、どこまでも結論が出ずに無限ループに入るのと同じことが起こる、ということである。

この考え方は、人工知能の研究にも影響を与えるものである。すなわち、この考え方に従えば、人間が自らを超える知能を作成することは、少なくともその意味を理解した状態では不可能だということになるからである。そしてそれ故に、この考え方に従った場合は、問題解決の手法として人工超知能に期待することもできなくなる。

しかし、それは、あるいはいいことなのかもしれない。人間心理のあらゆる動きが即座にわかる何者かに、あなたのたわいもない心中の不満まで覗かれ、それを悪用されたり、それを元にシベリア送りにされたりするというリスクだけは回避できるのだから。

脚注[編集 | hide]

  1. え?はまだ童貞処女だって?それは多分君がまだ若いから。まだまだチャンスはあるはず。LGBTだったら、ちょっと違う体験をするかもしれないけど、それも広義には性行為だしね。
  2. 思えばニュートン錬金術師だったから、科学には宗教に近い側面もあるのかもしれない。だが、それはまた別の記事で。
  3. クローン問題は、残り0.01%まで含めてそっくりであることを異常に問題視しているのだから、何とも下らない話である。一卵性双生児を見れば、後天的な遺伝子発現には差異が現れるので、クローンでも個性が生じるのはほぼ明らかなのだが、何故かその側面は取り上げられない。
  4. 但し、今ではスキャンはできる。
  5. U. S. O. Kusai, H. A. Hyaku, et al.,『実践心理学の専攻志願者の近況』 (2020). 帝都大学出版会.
  6. ちなみに、心理学者たちは、その論争の幕開けの際に、自分たちは数式の意味を正しく理解できていません、ということを自ら露呈している(ソーカル事件)。
  7. とはいえ、この点については、ラカンフランス人であり、かの国は大陸合理論以来、実存主義構造主義ポスト構造主義に至るまで、一貫して抽象論好きなお国柄であるのだから、多少は手心をくわえざるを得ないかもしれない。
  8. 宗教的には格好を付けて托鉢と呼ばれる。
  9. 恐怖症の恐怖を抱く対象などは、3秒に1個のペースでリストが増えていると言われている。
  10. 例えば、心理トリックしか使わないマジックであれば、そのタネは注意の仕方を変えるだけで、すぐにバレるであろう。