桂歌丸

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「歌丸、出棺のお時間です。」
桂歌丸 について、六代目三遊亭円楽

桂歌丸(かつらうたまる、1936年8月14日2018年7月2日)とは、骨と皮だけながら恐るべき生命力で決して出棺することのないはずだった、日本落語家である。

概要[編集 | hide | hide all]

日本テレビが放送している笑点の終身名誉司会としてもっともよく知られており、少なくとも笑点放送開始100周年となる2066年までは、肺にチューブが入ろうと骨と皮以外すべてサイボーグ化しようと生き延びるはずであったが、残念ながら2010年代ではそれらの技術が近未来的過ぎたために間に合わず、2018年7月2日についに昇天してしまった。今後は、新番組『昇天』の終身名誉司会も兼任されると、どこかの訃報なら報じるかもしれない[1][要出典]

少年時代[編集 | hide]

第二次世界大戦終戦当時、9歳になりたてだった歌丸少年は、焼け野原で今のようなテレビゲームは無論、遊びに行ける繁華街も土管だけおいてあるアニメ的な空き地もない状況のさなかで、ラジオとのつながりだけは何とか維持していた。そのラジオだけが唯一の楽しみであったというが、その中でも最もインパクトを与えたのが、落語だった。

早くも小学校4年生の時には、落語家になることを決意し、以後70年以上の人生を丸ごと落語の道にささげることとなっていくのであった。

青年時代[編集 | hide]

中学3年の時に、噺家になることを目的に入門。師匠はでも良かったらしく、最初は古今亭今輔だったが、後に兄弟子桂米丸を師匠とすることとなる。噺家として成長するにつれ、今児、つまり今の子という芸名をもらったに、そんなことどこ吹く風で古典落語へのこだわりを強く見せるようになり、新作を重視していた最初の師匠に一時は破門される。しかし、噺家になることへのこだわりは誰よりも強く、桂米丸の弟子として復帰。今度は桂米坊を一時的に名乗ったのち、1964年、現在の桂歌丸を名乗ることとなる。由来は「歌」の字を見ることが少ないと米丸が判断したからだとされているが、歌丸が芸を磨くために別の伝統芸である舞伎をしょっちゅう観劇していたことでも持ってきたほうが、筋は通っているようにも見える。名前だけでも丸が欲しいおバカ花丸という名前をもらえるのだから、何かしら生活感があったほうが歌丸的だからである。

今でこそ大物落語家が出る舞台となっている笑点だが、1966年、初放映時はまだまだひよっこ向けの舞台だった。当時は新・三種の神器(3C)の一つにカラーテレビが挙げられており、テレビはまだまだあまりにもナウいものだったので、伝統芸たる落語の重鎮がなかなかそのような舞台に映らなかったのも、当然といえば当然のことである。実際、歌丸も、初回放送時にはまだ二ツ目であって、真打ですらなかった。しかし、テレビでは大喜利の腕を上げ、素早いツッコミ、軽妙な笑いによってめきめき頭角を現し、番組自体の分裂騒動なども何のその、時には近くの芸妓から学んだ女装術で茶目っ気を出したりしつつ、テレビ落語のスター階段を上がっていくこととなるのであった。

笑点の司会へ[編集 | hide]

一方で高座では古典落語をテレビ・ラジオの経験などで得たものを参考に少しばかりアレンジしたりしつつ、伝統落語の名手として人気を博し、笑点の回答者としても六代目三遊亭円楽(当時は楽太郎)の参加以降、いよいよ勢いを増す軽妙なやりとりで中心的存在にまで駆け上がり、髪の毛を少々と肉をかなり失い、骨と皮になって皮肉を自らの容姿で体現する域まで到達した2005年前の司会が問題の出し忘れから引退を決意したため、ついに笑点の司会にまで上り詰めた。

歌丸は、骨と皮だけのご老体、いつんでもおかしくなさそうに見せながら、幾たびもの六代目円楽の出棺を乗り越え、ついに笑点50周年まで、司会を務めることとなった。

「山田君、円楽さんのきれいにしちゃいなさい」
六代目円楽 について、桂歌丸

きっと、座布団を取ることによって、生命力も養っていたのであろう。その骨と皮の姿も、既に霞を食う仙人に近い域にまで到達していたので、もはや歌丸は不死のようにも思われていた[不要出典]

司会勇退、そして[編集 | hide]

しかし、2016年、五代目円楽に引き続き、やはりうっかり問題を出し忘れかけてしまったので、司会引退を決意。50周年の節目をその日にすることとした。そのころから時々肺炎などにやられて入院常連になりつつあったが、それでも座布団から生命力を得ていたのであろう、最終回では、口では「全員に座布団10枚上げるつもりでした」と言いつつ、三遊亭小遊三ホモっぽい発言をしたことを口実に、全員の座布団をきれいにしてしまった。[2]これが、その後の2年分の燃料となった。

とはいえ、どうやらそれ以上の燃料が得られなくなったことが響いたようで、その後は高座や前座番組『もう笑点』にて何とか活動していたが、ついに座布団の代わりに酸素を補うようになり、更に幾たびか入院し、とうとう2018年7月2日、笑点100周年まであと48年残して、出棺されることとなってしまった。

これを踏まえ、日本テレビの各ワイドショーやテレビ朝日の徹子の部屋などで、追悼特集が放送された。ただしフードファイトは放送されなかった。

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生涯独身になるかもしれない後継者とは異なり、歌丸は地元の美女と結婚し、自身妻の座布団として尻に敷かれることとなった[3]。こうして、恐妻家として、独身の昇太にはできないネタなんかも生み出し、独身君からは人間国宝とも称されることとなった[4]

脚注[編集 | hide]

  1. 実際には笑点のオープニングをなぞったネタになっていたが、やっぱり笑点⇔昇天の言葉遊びはやっていた、というより、意見募集の末そうすることになるっぽい。「天国で再び〇〇する」はウソペディアの記事にされるほど多すぎるので、何とかちょいとひねったのだろう。
  2. 通称「歌丸ジェノサイド」。大量破壊兵器である。
  3. 骨ばかりじゃ座り心地も悪いだろうに、妻というものはやたらと夫を尻に敷きたがるらしい。
  4. 彼が人間国宝として歌丸を持ち上げたのは、そうすれば座布団を「こっそり」もらえるからでしかないというのは、野暮な物言いであろう。

関連項目[編集 | hide]