歴代天皇(奈良時代)

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歴代天皇(奈良時代)(れきだいてんのうならじだい)とは、律令体制が確立した時代の天皇たちである。

参照

藤原京時代(白鳳時代)の天皇たち[編集 | hide | hide all]

40天武(てんむ)
本名は、オオアマ。別名は、アメノヌナハラオキノマヒト。とにかく海水浴が大好きで、歴史の史料にその若い時代の記録がまったく見られないのは大阪湾で年がら年中泳いでいたからである。とくに得意としたのは、素潜りと、遠泳である。10分以上も浮いてこないので臣下が慌てたことがあったが、皇子はけろりとした顔で両手に大量の獲物をひっさげぽかりと浮かんできた。また臣下が目を離したすきに、淡路島まで泳いでいったこともある。「おれは将来、朝鮮に泳いで渡るんだ」と豪語していた。朝鮮遠泳征服計画を本気で考えていたが、その遠泳スタート地点は北九州でなく難波津であった。天皇になってからは海水浴を禁止され、やむなく一面の野原に天皇の神の力により雨を大量に降らせプールのようにしてそこで泳いだ。それでも水が少なかったのか、沼の中を這いずり回っているようになってしまったが。ちなみに歴代天皇は全員雨を降らす神の能力を有しているが、臣下の見ている前では決して行わないのが決まりであった。ところが天皇は早く泳ぎたいばかりに堂々と雨降らしの術をやってしまい、臣下は皆恐れおののき「天皇は神である!」ということを広く世に喧伝したのであった。
こんな肉体強健人間には、しょぼい忍術などかなうわけもなくオオトモ皇子は敗れ去ったのである。
41持統(じとう)女帝
本名は、ウノノサララ。別名は、オオヤマトネコアメノヒロノ姫。天武天皇の亡きあと、皇子のクサカベが幼かったのでピンチヒッターで即位した。この皇子は、父親に似たのか草深い中をまるで泳いでいるかのように巧みに這いずり回るのが趣味であった。いっぽう皇居のほうはいっぺんに猫屋敷化してしまった。とにかくネコが大好き。とくに可愛がっていた2匹の猫に、自分の名前から「うの」「さら」と付けたのはいいが迷子になったネコを探すとき臣下が名前を口に出すのをためらった。不敬罪になることを怖れたわけである。そこで女帝は自分の名前を改名した。実はそれまでこの女帝の名前は「ウノサラ」であった。「ウノノ、サララ」という名に変えたのである。
なんとものんきな話であるが、トネリやタケチなどの皇親に政務を任せていたので心配はなかった。
42文武(もんむ)
本名は、カル。別名は、ヤマトネコトヨオオジ。カルの名のとおり、身長が低くてとてもかわいらしい男の子天皇だった。父親(クサカベ)が早くに亡くなったので不幸中の幸いにもその草むら這いずり回る趣味は受け継がなかったが、猫好きの祖母に育てられたため猫大好きで、宮殿だけじゃなく藤原京の大きな通りという通りをネコだらけにしてしまった。おかげで藤原京はネコ町と化し道端はネコの糞だらけで臭くてたまらず、しかも出勤する役人たちが可愛い猫の相手をして出勤が遅れ政務が滞った。問題は年々困ったことになり、新しい都への遷都が計画されることになった。

平城京時代(奈良時代)の天皇たち[編集 | hide]

43元明(げんめい)女帝
本名は、アベ。別名は、ヤマトネコアマツミシロトヨクニナリ姫。文武天皇の母親で、このひとも大のネコ好き。ネコ好きが高じて「この世界全てに猫を蔓延させる」という夢を持ってしまい、慌てた臣下によって強制的に平城京へと遷都させられた。猫を飼うのを禁止された女帝は、やむなく鹿をネコ代わりにかわいがった。しかし鹿は神の使いなので飼えず、女帝は大いに憔悴した。ちなみにアベという名前は、前半生はネコに囲まれ「あははは」と楽しんでたのが、後半生はネコを禁じられ口をへの字にしてすねていたことによる。
44元正(げんしょう)女帝
本名は、ヒダカ。別名は、ニイノミ、ヤマトネコタカミズキヨタラシ姫。文武天皇の妹で、やっぱりこの女帝もネコ好き。ただ今までの女帝は全員、天皇ないし皇子の母親かつ皇后経験者だったので「猫大好き好き好き」されると臣下もやむなく従うしかなかったわけだが、この女帝は未婚つまりお嬢様なので猫好きであっても個人の趣味ということで済ませれたのは国政にとって大きかった。
ただでさえ女帝の神通力はすごいのだが、けがれなき未婚ともなるとそれはすさまじい神通力であった。雨を降らす能力はもちろんのこと、真夏に遠くの高い山の頂にある氷を都に転送する能力を発揮した。おかげで臣下たちはかき氷を初めて食べることになる。
在位十年で甥に皇位を譲った後、甥天皇から結婚を勧められ新しい家庭を築けと広い家を与えられた。しかしついに未婚のままだった。家の中は…ネコだらけであった。
45聖武(しょうむ)
本名は、オビト。別名は、アメシルシクニオシハルキトヨサクラヒコ。平城京を代表する天皇で、もちろん日々雨を降らせ民の生活が立ちゆくようにと神通力を惜しみなく使う一方で、平城京を桜の都にしたいという願望があり平城京のありとあらゆる建物・神社仏閣の建設は「桜を周囲に50本以上植えよ」との必須条件が課せられていた。おかげで都はさくらさくら。しかし桜の苗はもちろん不足し、手に入れることが難しくなり桜の闇取引や詐欺商法が蔓延しみな苦しんだ。なお桜の都にしたいと思った動機は、もちろん諸外国使節への見せびらかしという欲望である。
オビトという名は首という意味で、これは金を使いすぎて首が回らなくなったという当時の律令国家とその破綻を表している。
いっぽう光明皇后(名前はアスカ)のほうは、父親から受け継いだ莫大な財産を湯水のように消費してもなお有り余るといった状況であった。そのため家庭は、かかあ天下になった。しかしこの皇后は自分のこととなるとたいそうなどケチぶりで、宿に泊まるときも庶民が泊まるような安宿に泊まるのが常でありそのため民からは大いに慕われ皆まるで太陽を見るかのごとく顔も見れないほどであった。
46孝謙(こうけん)女帝
本名は、アベ。