歴代天皇(VS蘇我氏)

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
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歴代天皇(VS蘇我氏)(れきだいてんのうたいそがし)とは、蘇我氏が政権を取っていた時代と、その蘇我氏を打倒しようとした時代の天皇たちである。

参照

蘇我氏政権時代の天皇たち[編集 | hide | hide all]

30敏達(びだつ)
欽明天皇のむすこ。
本名は、ヌナカクラフトタマシキ。別名は、オサダ。この天皇以降、名前が非常に個性的になる。しかしこの天皇以降、政権は臣下の蘇我氏や物部氏に完全に牛耳られる。せめて名前だけでもと自己主張した結果だろう。「ヌナカ」は、蘇我氏ら臣下に牛耳られ沼の中でもがいているような状況という悲痛な訴えである。「クラフト」は蔵が米でいっぱいという意味であるが、これも皮肉で臣下の蔵はいっぱいだが皇室の蔵は空っぽということを示す。せめて天皇が座る敷物だけでもときれいな玉がちりばめられていたが、その玉さえも臣下から献上されたものであった。そして「オサダ」という別名は、強烈な皮肉である。これは他人の田という意味で、日本全国どこの土地もすべて皇室のものでなくなったというこの天皇の魂の叫びを表している。
このころ政権を争っていたのは、蘇我ウマコと物部モリヤである。蘇我氏は馬を走らせるため森を伐採しろ(森は邪魔だ!)と要求し、物部氏は森を作るため植樹しろ(馬は要らん!)と要求し、激しい対立になっていた。
31用明(ようめい)
敏達天皇の弟。
本名は、タチバナノトヨヒ。別名は、オオエ、イケベ。この本名は、ズバリ夏の太陽のもと立派に立ち上がって咲く大輪の花、ヒマワリを指している。朕もかくありたいと臣下が跋扈する宮廷で、日々願っていた。しかし夏の太陽もあまりにもぎらぎらと熱すぎると、さすがのヒマワリも耐えきれず首(こうべ)を垂れてしまう。それほどに臣下たちの専横は猛烈だった。
「オオエ」という名前は、奇妙である。敏達天皇という上の兄がいるのになぜ。この天皇は、実は即位してわずか3年で亡くなった。残された幼い弟が、その臨終の席で「あにき!あにき!」と大声で泣き叫んだことからこのあだ名がついた。この弟は、自分の運命にうすうす感づいていたのだろう。
「イケベ」とは池辺という意味で、政治の場に出ても何もすることがなく一日中池で釣りをしていた天皇の姿が印象深かったことによるあだ名である。
32崇峻(すしゅん)
敏達・用明天皇の弟。
本名は、ハツセベ。別名は、ハツセベノワカサザキ、クラハシ。「ハツセ」という名前から、川の中州を連想する。しかし雄略天皇と違うところは、自分で行ったのではなく臣下たちにいじめられ強いられて行ったことだ。川の増水によって命を危険にさらされるが、幸い増水はなかった。このようにこの若き天皇は常に命を脅かされていた。「サザキ」とは古墳、お墓のことである。若くして崩御したことを意味している。その死因は悲惨なものであった。このころになると皇室の蔵はさらに縮小され、橋の上にわずかに載っているという状態であった。
この天皇のわずか6年の治世の間に、ついに蘇我ウマコが政権を握った。全森林を伐採するという公約はいつの間にか掻き消え、物部モリヤにふっかけた喧嘩の原因は明らかに言いがかりであった。馬を使い、ウマくやったのである。
33推古(すいこ)女帝
欽明天皇の娘で、敏達・用明天皇の妹、崇峻天皇の姉、敏達天皇の后。兄である敏達天皇と夫婦だったわけだが、大した問題ではない。女子で史上初めて天皇に即位したわけであるが、これも大した問題ではない。
本名は、ヌカタベ。別名は、トヨミケカシキヤ姫。「ヌカタ」とは、猫の額ほどしかない土地という意味で、皇室領が前代に引き続きひどく狭かったことを表している。天皇になっても政権は蘇我氏がリードしていたので何もやることがなく、さらに夫を早くに亡くし非常に寂しかった。そこでこの女帝は「ケ」に走ったのである。「ケ」とは皿という意味で、つまり食欲に走った。女帝の食欲はすこぶる旺盛で食べる食べる食べるとくに煮物が大好きで(カシキは炊くという意味)、台所に煮炊きの鍋が1日中ぐつぐつとしていた。
当時女子は神様だったので(21世紀もかな?)リアルの政治は代理人男子を立てるのが決まりであり、甥(用明天皇のむすこ)のウマヤドノトヨトミミ皇子が選ばれていた。皇子は蘇我ウマコの馬公約時代の申し子であったが、蘇我氏からなるべく遠く離れようと努力はしたようで大阪府に巨大寺院を建てたいと希望し認められたがこれは将来ここを本格的な城郭にしようという目論見であった。皇子の存命中にはかなわなかったが、このちょうど千年後に豊臣秀吉によって皇子の夢はかなった。そう皇子の名前にある「トヨトミ」はもちろん皇子の本来の名前であり、秀吉は皇子にあやかって「トヨトミ」氏を称したのである。
34舒明(じょめい)
本名は、タムラ。別名は、オキナガタラシヒヒロヌカ。父(敏達天皇の次男)と母は異母兄妹夫婦であるが、それは大した問題ではない。30代から33代まで4代の天皇が祖父の兄弟姉妹で相続し合ったのでこれは当分天皇にはなれないなと高をくくって農「村」に引きこもり毎日「田」んぼを眺めていたら、ある日蘇我氏に呼び出され天皇にならされた。しかし生活は変わらず田んぼに毎日出かけては肥料と雨をえんえんと垂らし続けた。それくらいしかやることがないからだ。その田んぼも猫の額ほどの広さしかないのは変わらなかった。
皇后のタカラ姫は、姪っ子である。毎日田んぼから帰るときは、かわいい姪っ子が家で待っているかと思うと気分もウキウキしてせめてもの癒しになっていた。
35皇極(こうぎょく)女帝
本名は、タカラ。別名は、アメトヨタカライカシヒタラシ。おじさんのタムラに毎日毎日可愛がられ大事にされたので、この名前が付いた。夫が亡くなった後、蘇我氏と関係のないむすこ(中大兄皇子)の代わりに天皇にさせられた。もちろん政治なぞやらせてくれず、夫と同じように毎日田んぼに行っては肥料と雨を垂らし続けるのみであった。せめてもと田んぼに出かけるときはいかした格好になって着飾ってうっぷんを晴らしていたわけだが。
しかしこの雨垂らし能力は、とくに女帝の場合はすこぶる大量に出るので乙巳の変のとき役立った。宮殿の庭に雨を大量に降らせ、水中呼吸の分野では権威であった蘇我イルカをアップアップと溺れさせることに成功。ついでに屋敷にこもっていた蘇我エミシの家にも大量の雨を浴びせたため、エミシはエビらしく激しくのけぞって驚いたという。

蘇我氏打倒後の天皇たち[編集 | hide]

36孝徳(こうとく)
本名は、カル。別名は、アメヨロズトヨヒ。身長が135センチ、体重が40キログラムといった超軽量天皇であった。大人の体格の天皇では目立ってしまって、総理大臣として政務を行おうとしていたナカノオオエ皇子の姿を隠してしまうというので選ばれて天皇にならされた。けっきょく天皇はやることがなかった。これでは蘇我氏の時と同じである。田んぼに行こうとしたが、阻止された。名前から「タラシ」が外されたのは、田んぼに行き肥料や雨を垂らす仕事さえ奪われたということを意味する。天皇の皇居は大阪府に追いやられ、その在位十年間は周りに誰もいない寂しい皇居引きこもりの十年間であった。
37斉明(さいめい)女帝
皇極女帝のそっくりさん。孝徳天皇にはアリマという名前の皇子がいたが、あちこち放浪しては温泉のありかを当てるのに夢中になっていてこれはだめだということでナカノオオエは皇極女帝に再即位を求めた。やがて現れた人物は母親に激似でどこか違うと中大兄は思ったが、慌てていたのでそのまま即位させてしまった。だから、この女帝の名前の欄には皇極女帝の欄を参照と書かれているだけで、本名は不明である。ナカノオオエがこれはおかしいとようやく感づいたのは、この女帝が北九州に自ら遠征に行くと言い出したことによる。毎日田んぼにしか行かなかった行動的でない母親とはまるで別人のキャラであった。
38天智(てんじ)
本名は、カツラギ。別名は、ナカノオオエ、アメミコトヒラカスワケ。この皇子はカツラギと呼ばれることを極端に嫌い、臣下に「兄貴と呼べ」と強要してみんな困惑していた。つまりこの天皇は、頭が禿げていたのである。またこの天皇は、なぜか知らないが人の上に立つことを極端に嫌い斉明女帝が亡くなった後6年も天皇にならず空位にしてしまったほどで、兄貴と呼ぶことをようやく了承した臣下にさらに文句をつけて「中大兄貴」と呼べと言った。「オオエはいかん。目立ってしまう。ナカを付けよそれなら目立たない」実は小柄な孝徳天皇を臣下が天皇位につけよと奏上したとき、「おれが目立つ目立つ」といって最後まで反対している。
「ワケ」の名の通り、非常に理屈っぽい。論理が破綻すると、また一からやり直し。さらに学んだ知識をすぐに公開して使おうとするので臣下は「生兵法はケガの元」と冷や冷やもので、やがてみな嫌になってしまった。
39弘文(こうぶん)
本名は、オオトモ。別名は、イガ。皇子時代から「この世にいる人間全員を友だちにする!」と公言していた。要するに、他人を信じすぎた。その一方で、生まれ育った家のある伊賀の里に足しげく通っていた。そこに女性を囲っているというのが臣下の噂だったが、実は忍術修行をしていたらしい。他人を信じすぎているはずの皇子がなぜ、そのような修行を?さすがの皇子も、おじのオオアマがうさん臭いことに気づいていたようである。なお皇子の頭は父親(天智天皇)の遺伝なのか、いつまでたっても毛髪が増えずいがぐり頭のままであった。