歴代天皇 (神話時代~ヤマト政権成長時代)

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
ナビゲーションに移動 検索に移動

歴代天皇(れきだいてんのう)とは、日本史上2018年までに在位した、130人の正式の天皇と、8人の名前だけ偉そうな天皇の、合計138人の記録である。なお、130人の中には、明治時代に正式の天皇とされた125人および偽の天皇とされた5人がある。なお、歴代天皇の諡号(しごう)は後世付けられた名前であり在位当時の名前ではないので、便宜上記すだけである。

神話時代の天皇たち

1神武(じんむ)
本名は、カンヤマトイワレ。「カン」は村長という意味。「イワレ」は村の名前。「ヤマト」が固有の名前である。現在の宮崎県出身と言われているが、本当は今や大阪府の一部と化している奈良県の出身である。奈良県は誇るべきである。初代天皇は奈良県人であると。
元は、現在の奈良県のイワレ村の村長であった。当時日本では建国ブームがあり、イワレ村でも「建国してください、村長さん」という意見が圧倒的になり、ついに村長カンヤマトは決断し建国した。国名は、自らの名を取って「ヤマト」とした。この名はのちに中国文字によって「大和」という表記になる。なお、名前は「サノ」ともいうが、それは村民たちから「村長さん、サノヨイヨイ」といつも背中を押されてから仕事を始めていたのであだ名された。
もちろん「古事記」「日本書紀」は、ねつ造記録である。宮崎県出身でないので、当然東征はしていない。東国へ東征した可能性はあるが、小さな村の財力では無理である。
そのねつ造記事によると127歳あるいは137歳まで生きたとあるが、医療技術が皆無な時代には当然無理で実は27歳あるいは37歳までしか生きられなかった。しかしそれでも平均寿命が25歳以下という当時としては、かなりの長寿であった。
2綏靖(すいぜい)
本名は、カンヌナカワミミ。もちろんカンヌ映画祭とは関係ない。耳の中ほどに綺麗なイヤリングをしていたところから、命名された。中環耳である。しかしこれについては異説もある。「カン」を村長という意味だとすると、「ヌナカワミミ」つまりヌメヌメな腐った表皮、すなわち耳だれの病気に苦しんだところから命名されたともいわれる。
3安寧(あんねい)
本名は、シキツヒコタマデミ(敷津彦田まで見)。2代目まで「カン」という村長名がついていたのが、3代目からようやく国家体制が整って国王となったと思われる。この文字変換からわかるとおり、真の本名は、シキツヒコである。後半は、よく田んぼに収穫具合を見に行ったことからついたあだ名である。
4懿徳(いとく)
本名は、オオヤマトヒコスキトモ。「オオ」は、大日本帝国の「大」と同じ意味。「ヒコ」は、男子共通のしこ名。つまりこの人物の名前は、初代天皇と同じ名前「ヤマト」である。なお「スキトモ」はあだ名で、大恋愛の末に結ばれた皇后から毎日「あなた私が好きですか」と問われ、「好きとも、好きとも、好きとも」と答えていたからである。日本史上初の愛妻家(正しくは恐妻家)で、かかあ天下の元祖である。
皇后の名前は、トヨツという。あられが大好物だった。またイケメンおじさんが好きで、21世紀初頭ならトヨエツのファンになっていたことだろう。
5孝昭(こうしょう)
本名は、ミマツヒコカエシネ。つまり名前は、ミマツである。ただ人名ぽくないので、皇居内にあったりっぱな松にあやかって付けたあだ名とも考えられる。後半の「カエシネ」は返し稲という意味で、田んぼに巡視に行った際、必ず稲をいったん引っこ抜いてそれから土に埋め戻すということを繰り返したことからついたあだ名である。作物にとってはいい迷惑であったが、手を泥だらけにするというのも初期の天皇らしい土臭さである。
このように初期の歴代の天皇たちは、自ら田んぼに出向いて土いじりをするのが習慣であった。20~21世紀の天皇たちが生物を研究したり稲を植えたりしているのは、この遺伝子が体内で騒ぐからである。
6孝安(こうあん)
本名は、ヤマトタラシヒコクニオシヒト。分析すると、「ヤマトタラシ」が名前で、「クニオシヒト」があだ名である。もちろん「タラシ」もあだ名である。垂らしには2説あり、田んぼに肥やしになる大小便(もちろん自分のではない)を垂らしまわったという説と、田んぼに恵みの雨を垂らしまわったことにちなむ。後者が事実とすると、この天皇は雨を呼ぶ陰陽道を修めていたか陰陽師を雇っていたことになる。「くにおし」というのは国欲しという意味で、領土拡張を初めて志したことに由来する。
ちなみに皇后も名前をオシヒメという。「欲しい欲しい」と欲の塊だったことに由来するあだ名。夫婦そろって貪欲さを隠さなかった。キャラも、かなり押しの強い人だった。
7孝霊(こうれい)
本名は、オオヤマトネコヒコフトニ。名前は、「ヤマト」。このころには歴代の天皇が「ヤマト」の名を引き継いでいる。あとは、あだ名。猫が大好きで、皇居内はネコ宮殿と化していた。猫と同じようにゴロゴロ、ごろごろしていたので太ってしまって、フトニという変なあだ名をつけられて記録に残ってしまった。
皇后の名前は、ホソヒメという。これもあだ名で、天皇と対照的に細身スレンダーなモデル体型であった。なお前代までは皇后は同じ皇族から選んでいたが、このホソヒメは奈良県の辺境である磯城(シキ)村長の娘である。イワレ村は三輪山のふもとの平地にあったが、シキ村は金剛山のふもとで和歌山県に近い山深いところ。
8孝元(こうげん)
本名は、オオヤマトネコヒコクニクル。前代に引き続き、猫大好き天皇である。生まれた時から皇居はネコだらけの環境だったのであるから、しかたがない。ただ息子天皇は「クニクル」というあだ名からわかるとおり、毎日欠かさず猫を抱いて国中をくるくる回っていたので肥満に苦しむことはなかった。
なお皇后の名前に「ウツ」「ナゾ」というあだ名が残っているが、何をかいわんやである。たぶん、大の猫嫌いで猫アレルギーだったのではないか。
9開化(かいか)
本名は、ワカヤマトネコヒコオオヒビ。この天皇も猫大好きであった。毎日毎日ネコと一緒に過ごしていた。いわゆるネコ三代といわれる、ネコ時代である。
皇后の名は、イカシキナゾである。猫にイカをえさとして与えていたことに由来するあだ名であるが、「ナゾ」というあだ名から猫に大好物のイカを毎日奪われヒステリーを起こしていたという説もある。

ヤマト政権成長時代の天皇たち

10崇神(すじん)
本名は、ミマキイリヒコイニエ。この天皇から、名前の感じががらりと変わる。前代までは牧歌的だったが、一転厳しい様子が現れている。次の天皇もそうだが名前にある「イリ」は煎りという意味で、火の上を我慢して歩いたというエピソードにちなむ。「たとえ火の中水の中」「心頭滅却すれば火もまた涼し」という名文句は、この天皇が元祖である。「ミマキ」という名は御牧を意味するあだ名で、「馬を使えば何もかもウマくいく!ウマウマー」とそれまでの歩いて田んぼ見回り政策から転換し、馬に乗って見回ることを始めた。ニンジンが大量生産され始めたのはこのころである。「イニエ」はイニエスタという意味ではなく50という意味で、日本列島にある50か国征服・天下統一を目指すぞ!という固い決意の表れである。
よって皇族たちを各地に派遣して征服戦争を始めたが、徒歩で行こうとする彼らに「馬に乗れ、ウマくいくぞ」としつこく勧めた。結果とてもうまくいって、征服は着々と進んだ。
皇后の名前も「ミマキ」という。なんのことはない、妻に対しても「馬に乗れ、ウマくいくぞ」とライディングを強く勧めたのである。彼女はみるみる上達し、ロデオまがいの乗り手となった。結果、夫婦円満・家内安全となったことは言うまでもない。
11垂仁(すいにん)
本名は、イクメイリヒコミサチ。父親と同じく、火の上を歩くという意味の「イリ」が名前に入っている、いわゆるイリ2代のひとり。「イクメ」とは何か、ご想像の通りイクメンの元祖。そんなわけはないもちろん子育ては大事であるが、天皇にはより大事な仕事がある。これは目を射抜くという意味で、つまり弓矢を奨励したことから由来する名前である。時に全国制覇をめざし各地に軍を派遣中で、馬を使っても容易ではなかった。そこで天皇は新兵器の弓矢を奨励したのである。これは、このイリ2代時代の体育会的な雰囲気にしては異色の出来事であった。「卑怯ではないか」という意見が大勢であったが、勝つためにはやむをえないという天皇の強い意志によりヤマト軍の平常装備となった。「イサチ」のイサも50という意味で、50か国を平らげようという意気込みを表してのあだ名である。
さてここで気づくのは、日本は普通六十余州と呼ばれ60か国である。つまりこのころにはヤマト国は10か国を征服していたわけである。
皇后は初め従妹だったが亡くなったので、京都府北部に軍事派遣していた従弟の娘サホ姫をもらった。ところがこの後妻、その「サホ」の名に違わず礼儀作法にやたら厳しくてその後の天皇一家に巨大な影響を与えていくのである。
12景行(けいこう)
本名は、オオタラシヒコオシロワケ。この時代から古墳時代に至るまで、いわゆるワケ時代の始まりである。名前の末尾に付いている「ワケ」というあだ名は、論理的な思考を意味する。言葉を変えれば、非常に理屈っぽくて何をするにしても「こうやってああやってこうしてああしてこうなるからこうなるんだ」といちいち説明する。臣下たちはそのたびに頭が付いていけずわけわからない状態で服従しロボットのように動かされる現象が発生した。このころから天皇権力が強まりその専制体制が確立するが、ケガの功名というべきだろう。礼儀作法に厳しかった母親の影響が大きかった。もちろん田んぼに対しては肥やしにしろ雨にしろ大いに垂らしまわり「シロしめた」(統治した)ので、名君というべきである。
ただこの「タラシ」は文字通りだったのではないかという説がある。天皇は自ら軍を率いて全国制覇をめざしたが、その立ち寄った先ではもちろん排泄したわけでその量もハンパなく田んぼにばらまけるほどであり各地の農業は大いに振興したというのである。
ただ子育てには大いに苦労した。次男のキャラに手を焼いたのである。次男の名前は、記録によると「オウス」という。これは柔道格闘家の口癖「オッス」を意味する。父天皇が論理を尽くし屁理屈を垂れると、次男は「オッスオッス!オッスオッス!」と繰り返すのみで話の途中で飛び出していくのだった。イリ2代の肉体派直系といえるので跡継ぎにしようと思っていただけに、これでは天皇は務まらないなとけっきょくは九州に放逐した。この次男がその問答無用の体力勝負で次々に諸国を平らげた、ヤマトタケルノミコトである。「タケル」とは猛獣という意味。
13成務(せいむ)
本名は、ワカタラシヒコ。それまでの長い名前から一転、短い名前になった。これは、父親の景行天皇のうるさいへ理屈に嫌気がさしたからであるが、兄のヤマトタケルの単細胞の強い影響もあっただろう。「タラシ」は今や天皇家伝統の肥やし及び雨垂らしとなった。田んぼに大小便をまき雨を降らせ、穀物を多く実らせ民の生活を豊かにする。まことに為政者が最低限度になすべきことである。さて「ワカ」というあだ名であるが、どうやらこのころから歴代天皇の頭髪が薄くなってきたようで臣下は年老いて見えるというのは貫禄があるということなのでいいじゃないかと言ったが、天皇は若く見られたかったらしくカツラを愛用するようになった。実は9代の開化天皇の名前にも若ハゲを意味する「ワカ」と言う言葉がある。
14仲哀(ちゅうあい)
本名は、タラシナカツヒコ。成務天皇には子供がいなかったので、ヤマトタケルの息子が即位した。まさに父親譲りの単細胞の治世で、為政者としての最低限度の行い(大小便と雨の田んぼ垂らし)だけをひたすらやっていた。
しかし残念なことに、この天皇は若ハゲになることもないまま即位からわずか9年で亡くなってしまう。「ナカツ」と言う言葉は、中途半端という意味である。
このとき天皇には、皇后のケナガタラシ姫がいて身ごもっていた。さてこの皇后の名前は実は、あだ名である。今まで見てきたとおり、「タラシ」というあだ名は天皇に固有の為政者だけに許された名前である。それが皇后に付いているというのは、この皇后が事実上の天皇であったことを意味する。彼女こそ、伝説の「神功皇后」である。
この皇后はとにかく長髪で、髪が身長より長くて常に引きずって歩いていた。そのため髪の毛を持ち上げる専門のそば仕えを常時付けていたが、トイレの時は難儀した。そこで長い衣をバサッとひるがえし髪の毛をうまく包み込むという芸当によって、みごとトイレを済ませていた。この芸当は長い間知られていなかったが、近年関西のとある深夜の情報スクープ番組によってその芸当が脈々と関西の女性に受け継がれていることが判明した。
髪の毛が長いというのは、神通力を表している。神通力を出すときだけ髪が伸びるのが普通だが、彼女の場合は常時長かったので常時神通力を垂れ流していた。そう、彼女は大小便と雨だけでなく神通力も垂らしていたわけで、おかげで彼女が軍を率いて戦うと敵国は戦意を失い敗れてしまいヤマト王国は大発展を遂げるのである。
彼女の天皇代理としての治世が69年間というのも、神通力を表している。これは太極を意味する数字で、もちろん彼女がわざとその数字になるように頑張ったのである。

この次の時代については、以下を参照

名前だけの天皇たち

祟道(すどう)天皇
桓武天皇の弟で、皇太子だった人物。本名は、サワラ。26歳の時、無実の罪で逮捕された。藤原種継という桓武天皇が溺愛していたハーフの青年を射殺した疑いだ。皇族ということで死罪にならなかったが獄中で出される食事に不満いっぱい。この人物、魚のサワラが大好きで1日1尾食べないと禁断症状が出るというほどであった。とうぜん獄中で食べれるはずもなくそのため絶食状態になり、淡路島に流される途中の船中で餓死してしまった。最期の言葉は「サワラを食べたい」である。その後、5年間にわたり皇居周辺で怪奇現象が起こった。サワラを食べた者全員が、突然奇声を発し笑いながら踊り狂ったあげく卒倒して死んでしまうのだ。これがいわゆるサワラの呪いである。怖れた桓武天皇は亡きサワラ親王にこの「祟道」天皇の称号を贈った。
 
終わらない工事
この記事は工事中です。ですがこのままいけば、この工事は終わらなさそうです。今見ているあなたも工事に協力してください。もちろん、空気を読んでの話ですけど。
注意: このページは429日間編集されていません。もしかしたら放置されているかもしれません。

関連項目