出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』

(し、:death、仏:mort、独:Tod)とは、人間平等権の基礎となる現象である。

概要[編集 | hide | hide all]

死は、あなたが誰であったとしても、その生の終局に、たった一度だけ訪れる。ソックパペットとして複数のアカウントを持とうが、AKB総選挙で大量にCDを購入して何千票も投じようが変わらず、一人に対して、たった一度だけ。

このため、経済力や権力、知力のある人間がどんなに自分自身を(数的あるいは量的に)水増ししても、関係なく一人を一人と暴き出す。これによって、全ての人間が平等であることを示す効果があり、平等権の根拠ともなっている現象である。

観点別の死[編集 | hide]

第一人称の死[編集 | hide]

あなた自身の死。上述のようにたった一度だけ訪れる。研究によると、快楽物質の分量が最大値に達するため、死に近い臨死体験をした人間は、全般的にこの体験が気持ち良いものであったと捉える傾向があることが知られている。

鬱病患者、キリスト教徒、仏教徒(特に浄土信仰の支持層)等からは、死は人生の苦からの解放だと肯定的に捉えられる一方、古代ギリシャや神道では、死後の世界が薄暗い黄泉の国として描かれていることや現世享受的な思想が強かったこともあり、死は否定的に捉えられる傾向がある。

死の問題と取り組むと、しばしば虚無主義へ陥る可能性が示唆されており、通常、生きている人間はなるべく死のことを考えないのが、賢い処世術[1]だと思われている。たとえ死期が近い老人でも、終活として生き残る他者のことだけを考え、自分の死のことは考えないことが望ましいと思われがちである。

第二人称の死[編集 | hide]

親しい人の死。しばしば周囲を泣かせる効果と、時々あなたにおを流し込む効果がある。日本に限って言えば、和訳すればいいのに小難しくサンスクリット語で唱えられた経文を何時間も聞かされる効果もある[2]

事故や災害、パンデミックなどによる「不慮の」死の場合、生と死について真剣に考える機会を与え、哲学的思索を深める材料になり得る。

第三人称の死[編集 | hide]

殆ど見知らぬ人の死。極稀に、抗議としての焼身自殺の映像などが流されるとデモ反戦運動に繋がることがあるが、通常は湾岸戦争当時のアメリカ人のように、カウチポテト状態で、ゲーム感覚のまま呑気に眺めることができる現象であり、それによって思考を深める糧にもならない。

例外はパンデミックによる死が報じられた時で、この時ばかりは自分や第二者に波及することを恐れて、人々はしばしばパニックに陥ったり、暴動を起こしたりする。

精神的な死と肉体的な死[編集 | hide]

精神的な死[編集 | hide]

精神的な死には、精神機能が停止することによる死(廃人脳死)と、人々の記憶から忘れ去られることによるミームの断絶とが存在する。精神機能停止は肉体的な死に先行するか同時に起こるが、ミームの断絶は、しばしば肉体的な死よりも後になる。

かつて始皇帝不老不死の秘薬を探し求めて叶わず、肉体的な死を迎えた。しかし、こうして2000年以上語り継がれることで、ミーム面では非常に長命の人物になることに成功している。歴史上の人物については、広く大衆に語り継がれている場合と、一部のマニアックな研究者やウィキペディアンしか伝承しない場合とがあり、前者の場合の方が公社に比べて、生存確率は高い[3]

たとえ名がなくても、インターネット上に残った情報は半永久的に残る[4]ため、自らのミームを形の上では永久に残すことに成功している。ただし、誰も気にしない可能性が99.99…%であることには注意しなければならない。

肉体的な死[編集 | hide]

肉体的な死の定義は、現代医療技術の発展によって揺らいでいるが、脳死・心臓死(心拍停止、呼吸停止、瞳孔散大)いずれも、人間が肉体的に機能停止したことによるものだという認識では一致している。

簡単にいうと機械の不可逆的なスイッチ・オフあるいはシャットダウンに相当する。脳科学者など、精神機能が物理的な脳に依存していると考える人間に従えば、肉体的な死は必ず精神的な死を併発する[5]

肉体的な死によって、人間は理論上は燃料あるいは食料となる資源を獲得する。しかし、人間を食べることは、カニバリズムとして近代社会では(どんなに食料自給率が低かろうと)受け入れられず、燃料としては確かに活用されてはいるのだが、肝心の動力機関やライフラインなどとの接点を絶たれてしまっている。

このため、人は肉体的な死を十分に活用できていないのであるが、このことも誰も気にしない。それどころか、あえて指摘したら気違い呼ばわりされてユアペディア (精神病院)にでも送られてしまうことだろう。

脚注[編集 | hide]

  1. しかし、それはハイデッガーに言わせればDas Manへの頽落であり、実存的な生き方ではないという。
  2. 最近では、賢明な人間と無神論者のために、直葬という素晴らしい方法が発明され、普及率も向上している。
  3. しかし、いずれも人類の生存に依存しているため、人類が絶滅すれば絶えることになる。
  4. サイトが閉鎖しても、その前に魚拓やArchive.org、Archive.isなどで保存されている可能性が高い。
  5. しかし、死後の世界を信じる人間の信仰に基づけば、この限りではない。それが願望文でしかないことについては、この場では触れない。

関連項目[編集 | hide]