南武線

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
浜川崎支線から転送)

南武線(なんぶせん)とはJR東日本の鉄道路線である。武蔵野線京葉線と共に旅客列車の外環状線「東京ボロループ」を形成している。元々、都市部における中古車買取場所として機能していたが、最近ボロは海外地方に売り飛ばされたり、ギロチンにされたりして一粛され、現在はE233の宝庫である。

概要[編集 | hide | hide all]

川崎から立川まで川崎市を横断する鉄道であり、郊外路線の割には乗車率が高く横浜線と共に本数が少ない割に乗車率が高い路線に数えられ、朝時間帯や夕時間帯は社畜の運搬に大半の列車を費やしている。

東海道本線の川崎駅を発し、横浜側へ暫く併走してから北側へ曲がり品格線と平行しながら多摩川の河川敷へ向かう、東急東横線の乗り換え駅である武蔵小杉に着くと進路を西北に変え、おおよそ多摩川の河川沿いを走行する。途中武蔵新城から車庫への道がある。その後、武蔵溝ノ口で、私鉄有数の激混み路線として悪評好評な東急田園都市線と交差をし登戸で小田急と交差している。その後、稲田方面に進み、府中本町では風に弱いオレンジ色の路線に乗り換えられる。府中本町を過ぎると西側に進路を変え、そのままユアペディア本部がある立川へ行く。立川駅より奥にも線路が繋がっているが、一説によるとこれはユアペディア本部への専用線であり、ユアペディアの管理者が利用しているという。

快速も止まらない知ってほしい駅から川崎より海側にある駅まで支線が伸びている。

東京ボロループなのに中央線の山奥奥多摩の休日快速と同じ6両である。もちろん沿線では増結を求める声もあるがそうすると踏切サンドの津田沼と紛らわしいやつドアカット工事が必要なため、JRは拒否している。

歴史[編集 | hide]

1927年、旧南部藩士が、荒野の開拓と砂利輸送による都市の発展への貢献を目的に南武鉄道によって立川側から開通した。1944年にはなぜかここここではなく、南武が呆気なく国有化された。

国有化以後はボロの楽園となっており、近年まで山手線のお古走ルンですが在籍していたが、2015年に座席の硬い期待の新車E233が投入された為、ボロは一粛された。

支線[編集 | hide]

貨物向けに支線を提供している。旅客列車は緑色と黄色、クリーム色である。

小田栄という駅ができたがキャッシュレス全盛のこの時期に川崎新町駅との間ではSUICAが使えない。

車両[編集 | hide]

何度も言っている通りイスの硬いE233の宝庫である。

その前にいたボロのうち、205系はインドネシアのジャカルタに運ばれた。インドネシアでは205系は老朽化が進んでいて新品が無いことを除けば使いやすいとの理由で気に入られている。その譲渡により無くしたスマートフォンがインドネシアで見つかるという話も出来ている。

でも支線には今でも2両化・中間車先頭車化という魔改造をうけた中古のボロがいるらしい。

関連項目[編集 | hide]

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