出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
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(ち、:knowledge)とは、それに基づいて行動した場合、最適な行動と合致するような情報である。

概要[編集 | hide | hide all]

人類はその歴史を通じて、様々な「知」をある時は育み、ある時は捨ててきた。知には絶対的な正解があるかもしれないし、もしかしたらないかもしれない。

人類の長い知的営みの歴史から分かることは、人類にはせいぜい、「こうだと考えるとうまくいく」仮説がいくつか得られるだけだということである。こうして、知とは、平たく言うと「知っているかのように振る舞うことができる」ことであるという定義が得られるのである。

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  • マクスウェル方程式電磁波の速度不変性を示すまでは、アイザック・ニュートンが考えた古典力学、あるいはそれの発展形である解析力学の範囲内で世界の現象を十分に説明できた。その意味で、当時の人々は、古典力学によって世界を部分的には知ることができた訳である[1]。しかしながら、マクスウェル方程式によって問題が突きつけられてからは、相対性理論の登場まで人々は物事を(部分的にしか)知らない状態へと放り出されてしまったのである。
  • 1,2,…という数列があったとしよう。この数列の第三項は理論上はどのような数字でもあり得るが、何らかの法則があると仮定した場合、人々の多くは次の項が3(整数列)、4(等比数列)、6(階乗)等の比較的シンプルな法則に沿った答えを考え付くであろう。これらの解答者は第三項が不明である時点ではこの数列を知っていると言えるが、第三項が明らかになった時には結果として正解を答えた人だけが、その数列のことを知っていたこととなる。しかし、第三項を予測できても、第四項以降を予測できる保証はどこにもないのである。

絶対的な正解、絶対知は存在するのか?[編集 | hide]

例えば、世界を支配する物理法則がいつ・どこでも不変であることは、物理学の根本的な前提となっている。しかしながら、この前提は今のところ破綻していないものの、論理的には破綻しない保証がない。

人間の外界に関する知性は、結局のところ帰納的であり、数列の項に後から何らかの法則を当てはめているようなものであり、有限項しか知らない限り、正しい法則を得られたという確証が得られることはない[2]

一方で、人間は外界から離れた知性として、演繹的な推論能力も有している。

純粋な論理学は、論理的に可能な世界を描き出すことが可能である。こうして人間は、膨大な数の可能な世界を知ることが可能である。もしも現実世界が論理的に可能な世界であるのであれば、こちらのアプローチを続けることによって、いつかは現実世界を完全に知ることができる可能性も0ではない[3]。しかし、プログラム停止性問題のように、現実世界が論理的に可能な世界であるかは、そもそも知ることができないので、こちらのアプローチも限界がある[4]

結局のところ、人間は何かを知っているように振る舞い続けることはできるが、絶対的な正解が存在するかは分からず、ましてやそこにたどり着いたかなど知る術もない、一種の不安定状態の中で、知っているかのように振る舞うことしかできないのである。

それ故、結局のところ、知とはそれに基づく行動結果から判断されるしかないのである。

教育と知[編集 | hide]

初等・中等教育においては、テストに答えればはっきりする正解が必ず存在する。この正解が知といえるかもまた、目下の所という留保付きでしか判断できない。

例えば世代によっては鎌倉幕府成立が1192年だと答えるが、最近の世代は1185年と少し前倒しにした正解を教わっているし、円周率も3だの3.14だの3.14159265358979323846264338…(無限・非循環小数)だのπだの、様々な値が教育では教えられている。これらはいずれも、ある条件においては正解だったということもできるし、正解ではないということもできる[5]

これが全ての原因ではないが、優等生が必ずしも社会的には成功しない原因の一つは、絶対的ではないテスト的な正解に固執し過ぎるからだと言われている。

脚注[編集 | hide]

  1. その代表的な成果が、産業革命である。
  2. 今のところは新たに分かった項(観測結果)によればどうやら正しいらしい、ということができるだけである。
  3. 但し、その時間スケールが有限である保証はなく、その時までに人類が絶滅している可能性もある。
  4. 簡単に言えば、現実世界もエラーを起こして突然ダウンする可能性が常に存在する、ということ。
  5. ジョン・スチュアート・ミルに言わせれば、これらの「正解」も最新の学説も、およそ人間が「知っている」ことは全てhalftruth(半真理)でしかないという。