知性

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』
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知性:intelligence)とは、主に知識の豊富さを指す。あるいは、それを合理的に活用する能力を指すこともある。

しかし現代の「知性」という言葉では、ある人の主観において、知識の豊富さを思わせる何らかの性質を指すこともある。だから、「あの人には知性が感じられる」などと言われても、見た目がそれっぽいからそう言った、あるいはIQ学歴などに惑わされてそう言った、というだけで、その人が本当に高い知性を持ち合わせているとは限らない。

死ぬほどどうでもいい話[編集 | hide | hide all]

古代ギリシャ哲学では重要な部分を占め、実践的な学問によって人を助けることにその意義を持った。しかし、知性を行使するもの次第で大きな歪みがなされるため、道教では歪んだ世間と照らし合わせて知性は「大偽」を生じるものとされた。また、ユダヤ教キリスト教でも、はじめに人類に知性を望まなかったとされており、知性の生み出した世の歪みゆえに神は人類を殺戮した。支配者にとって下々のものが知を持つことは、混乱を招くと考えられていたのだ。一方、仏教は実践的な知識よりもこの世の真理を悟ることを「智慧」として重んじたので、憂き世に望みを捨てた人々は見えないものに救いを求めた。BUMP OF CHICKENも見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込んでいる。

それはともかく[編集 | hide]

ウソペディアの現代的な哲学における知性とは、人が堕ちるところまで堕ちても最後まで決して捨ててはいけないものだとも考えられている。人を人と定義するための数々の概念がどれほど人から欠落しても、最後に知性さえ人の中に留まれば、それがついに失われるまでは、かろうじて人を人としての形に留めるからだ。

現に、ウソペディアの人々、ウソペディアンはすでに堕ちるところまで堕ちているが、それでも知性だけはまだ捨てていない。

ただ、品性を捨ててしまったのは間違いだった。

関連項目[編集 | hide]