東京芸術大学(とうきょうげいじゅつだいがく、英:Tokyo University of the Arts)とは、日本で最高水準の芸術教育が行われている大学である。略称は芸大。
東京芸術大学は、日本の芸術大学であるが、元々は、工部大学校(現在の東京大学工学部)附属工部美術学校としてスタートした。ルーツ上に関わって来る東京大学では現在でもLiberal Artsが教えられていることや、両大学の本部が設置されている東京大学本郷キャンパスと東京芸術大学上野キャンパスとが相互に徒歩圏内に立地していることなどから考えられるほどには相互の交流は行われていないが、学術における東大と並び称され、ある意味では双璧を為す大学である。
東京芸術大学では、大学入試センター試験の受験を形の上では求められるものの、余程出来が悪くない限り、全ての結果は実技によって決められるとされている[1]。これにより、学力面での偏差値はさほど高くないとする主張も存在するが、芸術大学の学生にしてみれば、そんな事は誰も気にしないだろう。何故なら、結局のところ学術は芸術の形式の一つでしかないからである。
考えてみて欲しい。美しい数学や科学の理論、洗練された文学表現、工学が結実させた、文字通り芸術的な建造物。それらは芸術でなくて何であろう?
芸術大学でありながら、奇妙なことに芸術学部は存在しない。
絵画、彫刻、工芸、デザイン、建築などを研究する。これらの分野、中でもデザイン[2]や建築、更には最新技術を駆使した先端芸術は、工学との関わりも密接なのだが[3]、美術学部で学ぶ芸大生の殆どは、工学部で学ぶ東大生と同じ程度[4]にしか、この点の自覚を持っていない。そうでなければ、東大と芸大の交流はもっと盛んになっていたことであろう[5]。
作曲、声楽、器楽といった古典的な近代西洋音楽のほか、伝統的な邦楽(雅楽)や、音楽に相応しい音響・映像などを研究する。こちらでも最新技術を駆使した音響研究などは工学に再び隣接するのだが、やはり芸大生も東大生も自らの殻にこもりがちであり、芸術的センスに欠けた官僚と、権力に影響を及ぼし得ないサブカル系の「前衛」芸術家とが生まれ、互いの交差することないまま人生を終えていく。こうして、日本は、学術と芸術の両輪あって働く最も強力な形での創造性の多くを喪失する羽目となるのである。
芸術を生かした仕事として、何らかの「クリエイター」になったり、「教師」になったりする卒業生が多く、純粋な芸術家として生きる人は極めて少ないとされる。
これは結局のところ、芸術だけで生きていけるのは、全く平凡でもなく、かといって誰からも理解されないほどには天才過ぎない、大衆から理解される点において最も天才的であるような「凡庸な」[6]天才に限られており、殆どの芸大生は、芸術家としては、天才過ぎて理解されないか、平凡過ぎて埋もれてしまうからである。
これもまた、芸術面ではあまりに陳腐な、しかし頭脳にかけては最も優れている、近くの別の大学とのかかわりが薄いせいだろう。無縁坂や権現坂は、芸術家になれない人々にはどうも急過ぎるようだ。
- ↑ 一部例外あり。
- ↑ 工学では「設計」と訳される言葉も、英語では同じくdesignである。
- ↑ もう一度繰り返すと、芸大のルーツは、工部大学校附属工部美術学校である。
- ↑ 未来の専門家と同程度である。つまり、殆どないに等しい。
- ↑ 参考までに、東大にも工学部による制作展が存在する。芸術と学術の狭間は、元々なかったものであり、今再び殆どなくなりつつあるのである。
- ↑ 新しいイズムを起こすほどではないが、一応個性的な、と言っても良いかもしれない。