解剖

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』

解剖(かいぼう、:dissection,autopsy)とは、儀式の一つである。現在では死体の分解作業を意味する。

概要[編集 | hide | hide all]

現在からおおよそ3000年ほど前、ある国では一風変わった宗教が跋扈していた。彼らは子供を捕まえては首を絞めて殺し、それを逆剥ぎにして神に捧げていたという。しかし、その後他宗教の者やこれを危険だと感じた信者の一部に告発され、関係者は大方逮捕、処刑された。その時の尋問において「子供を殺していた理由は何か?」と聞くと「神と和解するため、我々の一部である子供を分けて捧げていた」と言ったという。これが和訳され、現在の「解剖」という言葉になったとされる。

意味合い[編集 | hide]

「解剖」は本来「生き物を神に捧げる」と言った意味合いがあったが、19世紀に入ってからはその意味が変わり始めた。西洋の一部では猟奇殺人犯が現れ、子供を殺した後心臓を取り出してコレクションしていた、という事件が存在し、犯人は「私は解剖しただけだ」と供述したことがあった。ここから「解剖」の定義は「人体を切り裂く」または「人体に傷をつけて臓器を取り出す」というようなものになったとされる。

法律の観点[編集 | hide]

本来であればこれらは死体損壊罪に触れるため立派な犯罪にあたるが、「学問のため」といって解剖を行う者もいた[1]。彼らは解剖学と呼ぶことで正当化を図ったが、当然逮捕された。現在でも司法解剖など、律をるところが堂々と法に違反しながら行われることもある。なお、司法解剖は殺人事件の被害者などを対象に行うため、死んでしまった被害者を更に痛めつける行為とされ多くで批判の声が上がっている。しかも、それから得られるのせいぜい死亡推定時刻や死因だけであり、ひどい場合では人体を切開したにも拘らず「なんの成果も得られませんでした」というようなオチまでついていることもある。

解剖学[編集 | hide]

解剖学は解剖を行うことで生物の生態や身体の構造を学ぶという学問だが、先述の通りこれは違法である。もちろんこれらは死者の尊厳に反するものであり、痴漢の領域をはるかに上回っているとして、世界中で否定され続けてきた。日本も例外ではなく、江戸時代に行われていた解剖作業「腑分け」では、遺体の切断にノコギリを使うなど死人に対しての親切心が薄かったことで後に問題となった[2]。現在ではX線など体を切開せずとも身体の内部の構造が分かるものが現れたこともあり解剖学は衰退しているが、それでも一部の地域では解剖学の文化は残っているとされる。

脚注[編集 | hide]

  1. 杉田玄白など、名を馳せる偉人も解剖に立ち会っていたという。
  2. 当時の人は犯罪者に行うものだから良いだろう、と考えていたらしく、モラルの低さが露見したことでさらに批判の声が上がった。

関連項目[編集 | hide]