訃報 (アンサイクロペディア)
アンサイクロペディアにおける訃報(あんさいくろぺでぃあにおけるふほう)とは、死者の記事を書く能力がないというアンサイクロペディアンの懺悔と告白である。
概要[編集 | hide | hide all]
日本語版アンサイクロペディアには、UnNews:訃報なる独自のニュースページが存在する。その内容は、ともかくユーモアがあるように見せるためだけにひねられた一行記事の積み重ねであり、肝心の死者の記事には、一応リンクが貼られているが、殆ど赤リンクである。
そうであるなら、本来はその赤リンクを埋めて記事を書くことこそ、アンサイクロペディアらしい弔い方だと思われるが、残念ながらユーモアの研究に明け暮れ過ぎた専門家集団には、それだけのために当該人物のことを調べる余力も残っていないらしく、かりそめのごまかしを通じて記事が書けないことを懺悔・告白する苦肉の策としての訃報によって、記事の執筆に代えざるを得なかったようである。
特徴[編集 | hide]
アンサイクロペディアの訃報の典型的な一文はこのような構成である。
細かな修飾語句が付くことがあるが、この大きな構成は殆どの訃報において変わらない。つまり、ノウハウさえ守れば、誰でも書ける、半ば定型文である。記事が書けないのみならず、定番ネタで片付けてしまうところも、ユーモアを研究し過ぎて凝り固まった結果かもしれない。
分析[編集 | hide]
この定型文はアンサイクロペディアンにとっては懺悔と告白でしかないが、外部の人間が分析すると、アンサイクロペディアンの死生観や宗教観に迫れる貴重な資料となる。簡単に分かることをまとめてみると、次のようになる。
- アンサイクロペディアンは、ウィキペディアをかじるだけでも作れる即興の記事を書く能力には乏しい。
- アンサイクロペディアンは、死後の世界を信じている。
- 死後の世界では、セカンドライフのような心機一転のスタートは認められない。
- ユーモアのためだけに、死後の生活まで、その代表的な活動に縛り付けようとしている。研究のし過ぎで善悪のバランスが崩れてしまったのかもしれない。
- アンサイクロペディアンの考える死後の世界は、アンサイクロペディアンにとって都合の良い妄想である。
- そういえば地獄落ちは見かけない。地獄は存在しないようである。
まとめると、アンサイクロペディアンは、何よりもまずユーモアを崇めており、死後の世界も死者の活動も全て、ユーモアに従うという独自の宗教観を持っていることが窺える。科学も時として、研究者にとって宗教性を帯びるが、それと同様、どうやらアンサイクロペディアンにとっては、ユーモアは既に宗教の域にまで高められているらしい。これでは、ユーモア研究生よりも、ユーモアこそ神と崇める「ユーモア教徒」と表現した方が適切であり得るほどである。