近鉄けいはんな線

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近鉄けいはんな線(きんてつけいはんなせん)は、長田駅から学研奈良登美ヶ丘駅を結ぶ路線である。

概要[編集 | hide | hide all]

近鉄大阪市内に新しい路線を作りたがっていて、長田が終点である理由は大阪市交通局の発症した市内の交通はすべて自分でやりたがる症候群という病気により、大阪市営地下鉄中央線に仕方なく乗り入れることになった。

近鉄の苦労[編集 | hide]

地下鉄に乗り入れる際に、近鉄はものすごくたくさんの苦労をした。

  • 大阪市営地下鉄中央線はサードレール方式である。近鉄は、それにあわせるための新しい車両を、わざわざ開発することになってしまった。近鉄の他の路線は架線方式なので、他線に乗り入れることができないという悲劇。
  • サードレール方式は地面に送電線があり、危険なので踏切は設置できないため、全線高架線、または地下線となったのでとてもたくさんのお金がかかった。
  • 近鉄が地下鉄の車両がボロいから新しい車両を導入してくれと言ったがきっぱり断られた。
  • 近鉄が優等列車を走らせたいと地下鉄に言ったがきっぱり断られた。これにより、新石切駅の待避線が無駄になってしまった。

先例と技術導入[編集 | hide]

サードレール方式の地下鉄路線からヘビーレール路線への乗り入れ、あるいはインターアーバン路線として遠距離を地上走行することは、変態鉄道先進国イギリスでは、意外と実用例が存在している。現地ではサードどころかフォースレールまで使用され、ブンブン唸り声をあげ赤や青に光るレールが乗客の目を楽しませている。駅ではレールが宙に浮かんでおり「ホームから飛び降りたくらいでグモれるものならグモって見やがれ」といわんばかりの構造である。

その歴史も深く、地下鉄路線の郊外乗り入れは、1920年代の地下鉄草創期にまで遡る。掘割構造が多く、完全に平地を走ることもあるが、当然ながら、トゲトゲの黄色い吹き出しつきで両手両足を広げたイギリス人の骸骨を大量生産したのち、踏み切りは戦前のうちに全廃され、線路への立ち入りは固く禁じられている。

現地では、都市高速鉄道やネットワークレールへの乗り入れどころか、完全な高速鉄道として最高速度225キロで運行されている例すらある。例えば、地下鉄ロンパリ線は、ロンドンのセントパンクラス駅からフォークストン駅までのCTRL、およびカレー州にあるコケル駅からSNCFのパリ中央駅まで相互乗り入れを行っており、路線図を全部同時に見ようとすると、両目があらぬ方向を向き裸眼立体視でもするかのような目つきになってしまう。ロン、コケルといっても、脱線転覆事故は開業以来2020年まで皆無であるが、炎上(物理)例は、2020年までに2回ある。

サードレールでの時速95キロ営業運転は、こうした事情から、十分実用可能であると考えられ、日本初のサードレールによる長距離高速運転が実現した。

また、これらの地下鉄では、車の乗り降りが面倒な人のために、車ごと列車に乗ることも認められている。しかしこちらの技術を導入することは、近鉄奈良線の新大宮-近鉄奈良駅間において、車による線路内への殴りこみをさんざん経験していた近鉄側から、丁重に拒否された。

地下鉄中央線の延伸当時、実際には、日本の鉄道安全基準においては踏み切りの新設が原則として禁止されていた。このため、技術面ではまったく問題にならなかったようである。

逆に日本側は、日立が最新の車両技術を持ち込み、ネットワークレールでも好評であった新型電車を運行開始したが、開業当日に故障車を続出させる結果となった。

工事[編集 | hide]

東大阪線[編集 | hide]

地下鉄の延伸区間として、まず東大阪線が着工された。石切大明神や寶山寺に安全を祈願のち、お神酒をおそなえし、乾杯、直ちに掘削を開始した。

翌日には長田から石切付近までを酔った勢いで掘り終えていたが、二日酔いで頭痛を抱える工事関係者は、思いもよらないところで地上の光を見た。トンネルの貫通である。迎え酒とばかりに祝杯をあげた関係者であったが、明らかに場所がおかしかった。施工ミスで天井が抜けたのである。寶山寺の境内には、すり鉢状の大穴があいており、関係者は住職に平謝りであった。

そもそも東大阪線のトンネルが地上に出ること自体が間違いである。このトンネルは、生駒側残り500mで、旧線の使用されていないトンネルに合流するはずであった。

旧線のトンネルは、国家総動員法も国民徴用令もない時代になぜか強制連行された[要出典]外国人の手で掘られ、突貫工事で死者が絶えなかったという。さらに列車衝突事故を1回、炎上事故を1回起こした。そしてブレーキ部品が足りない近鉄奈良線開業当時の木造電車を無理やり走行させた結果、その電車は満員の乗客を乗せたままブレーキが壊れ、当時のへろへろなレールを時速120キロで駆け下りていった……そして花園駅構内で普通列車に追突した。

そんな歴史と伝統あるトンネルが、めでたく生駒側500mだけ現役に帰り咲いたのは、めでたいことであったが……運行開始後に炎上、死者を出している。みごとに、英仏海峡トンネルと同様に、2回の火災事故を起こす結果となってしまった。どうみてもめでたくない。

トンネルの大阪側は放置状態であったが、あまりの武勇伝っぷりから、夜な夜な元気な若者の肝試しが相次ぐため、大阪側は、親の仇のごとく防犯カメラと人感ライトを大量に設置し、現在に至る。

けいはんな線[編集 | hide]

生駒駅より北の区間は、高低差も人家もまともな道路もない秘境に鉄道を建設したため、心霊現象などとは無縁であり、当初、工事は順調に進んでいった。

この区間では、戦前に枚方から私市を経由し生駒までの鉄道延伸を目論見た生駒枚方電気鉄道が、大阪側の線路敷設を進め、1929年までに私市までの路線が完成していた。ここから生駒までは、生駒金剛山地の北端を通る急峻な山岳地帯であり、難工事が予想されていた。

大量の爆薬が用意された。生駒枚方電気鉄道は、信貴生駒電鉄に買収され、のちの近畿日本鉄道となる。戦前鉄道バブルのなか、私市と生駒を隔てる山岳地帯が爆破されようとしていたが……1939年に、それらの爆薬は全て爆発してしまい、世界恐慌の到来もあって、工事は中止されていた。

第二期工事として学研奈良登美が丘駅までの延伸が実現した。自動車の進入を許さない人外魔境への資材運搬は、1932年に建設された、幅50cmほどしかない歩道によるしかなく、断崖絶壁に張り付いた工事道路では転落事故が相次いだ。温泉湧出地帯に掘られたトンネルでは、岩盤温度160度におよぶ高温のため爆薬が自然発火し、険しい斜面に立てられた作業員宿舎は2度も雪崩で全壊した。「けいはんな線の工事における事故に、けが人はいない」と言われるような過酷な工事が進められ、現在では、底すら見えない谷に巨大なトレッスル橋梁がそびえ立ち、長大トンネルで丘を抜け、人家のほとんど見られない深山幽谷を貫き、クマとキツネが見守る中、一直線に高架橋が延びている。しかし途中で高架橋は不自然に東へ進路を変え、新興住宅街の片隅で、高架橋は虚空を向いて唐突に終わっている。

一説によると、学研都市内への設置が噂されるリニアの駅位置が発表され次第、けいはんな線も、本格的な用地買収と延伸工事に入るとされる。秘密裏に工事は進められており、最寄の人家から10kmも離れた原生林のまっただ中に、橋脚が何本も立っているとされる。場所を特定しようとした鉄ヲタが遭難したりクマに襲われたりする事故が相次ぎ、現在のところ、第三期工事のルートはまったく不明である。

関連項目[編集 | hide]