8月15日

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』

8月15日(はちがつじゅうごにち)とは、夏真っ只中な8月のうちのごく平凡な1日である。お盆休みのうちの1日でもある。

概要[編集 | hide | hide all]

8月15日とは、8月のうちの祝日でもないごく平凡な1日であるが、なぜか日本では終戦記念日とされている日である。ちなみにお隣の中国韓国ではこの日は平日であり、第二次世界大戦関係では別の日を祝日としている。

多くの他の国ではごく普通の平日であるし、日本国内であっても多くの人々にとっては、学生だったら夏休みの宿題の存在をなかったことにして、普段は服役中の囚人の如く大人の言いなりになっているためにあまり出来なかった各々好きなことに存分にのめり込むことが出来る夏休み期間のうちの一日であるし(なかには受験生として夏休みの間も学校や塾や予備校に収監されている憐れな学生もいるかもしれないが)。

大人だったらお盆休みということで、ある人は実家に帰って普段はなかなか味わうことのないニート気分を味わっているかもしれないし、ある人はお盆休み関係なしに年中暇でその日も暇だろうし、ある人はいつものように社畜生活しているだろうし、ある人はいつものように常にツイートし、ある人はTVの前のみんなの暮らしを守るべく何かと戦っていたりと、とにかく8月15日ははごく普通の日であり、お盆休みのうちの1日でもある。

出来事[編集 | hide]

1945年 ポツダム宣言受諾
正午、昭和天皇が「戦争終結の詔書」を読み上げる玉音放送によって、アメリカ等がだしたポツダム宣言を受諾・連合国への降伏がラジオと新聞で日本国民に伝えられ、これによって日本の第二次世界大戦は終わった。多くの人々は日本が負けた悲しみで泣いたとされているが、本当のところは鬼畜米国による空襲等の恐怖から解放される嬉しさからの涙だったともいわれている。[要出典]しかしお隣の中国や韓国にとってはまだ終戦ではなく、後に別の日が終戦日となり、日本からの勝利・解放を喜ぶ人々によって熱狂的なお祭り騒ぎが起こったという。とにかく、この日は長く続いた第二次世界大戦の大きな節目となった。

終戦記念日[編集 | hide]

1945年の8月15日に上述の出来事が起こった。それ以来、日本では8月15日になると大々的に全国戦没者追悼式典が行われるようになり、黙祷することが半ば強制されるようになった。

黙祷する時刻に普段と同じようにツイートしたりしようものなら、普段はあまり扱わないくせにこの日の近くになると取って付けたように急に活発に「平和」をテーマにしたものを扱いだすメディアや学校の平和教育によって素晴らしい平和主義者となった人々による社会的な制裁が与えられ、もれなく「非国民者」という称号が与えられるだろう。

また、そうした「非国民者」を見つけた平和主義の「愛国者」は多くの人々から称えられることになるだろう。しかし本当の平和主義者なら、この日に限らず普段から世界が平和になるにはどうするべきか考えたり行動したりするだろうし、他人に私的な制裁を加えることはない。

本来この日は8月のうちのごく平凡な1日であるし、特別だとしてもお盆休みのうちの1日であるだけである。だから普段と同じように自分のやるべきことをやり、自分のやりたいことがあればそれをしていれば、それこそが日本の発展を願い日本の日常を守るために戦い死んでいった兵士や普段と同じく何気ない日々を過ごしたくても戦争によって破壊され、元の生活に戻ることを願っても、とうとう戻ることなく空襲や原爆の犠牲となった人々の弔いになる。

関連項目[編集 | hide]