知的ユーモア

出典: 究極の八百科事典『ウソペディア』

知的ユーモア(ちてきゆーもあ)とは、知識や技巧を誇示したいインテリ・似非インテリ達が愛用して止まない、衒学的で難解・晦渋であることこの上ない、不自然なほど人工的なユーモアである。

概要[編集 | hide | hide all]

本来ユーモアは、ウィットエスプリと比較して、より情緒的でウェットな[1]滑稽さ・可笑しさだとされている。ユーモアは人々のに直接働きかけるため、知性をベースにしたエスプリと比較して、大衆にとって分かりやすいものとなっている。

しかしながら、エリート意識を多かれ少なかれ隠し持っているインテリや似非インテリ層は、学生が自分たちにしか分からない学生語の使用によって外部に対し特権意識を持ちつつ上手く煙に撒こうとするように、自分たちのような「一定以上の教養がある」人間にしか分からないユーモアを求め、ドライすぎるエスプリと通俗的すぎるユーモアの間に位置する知的かつ情緒的な、自分たち専用の笑いを作り出した。これが、知的ユーモアである。

特徴[編集 | hide]

知的ユーモアは、発信者が惜しみなく知的技巧や知識を動員するため、その内容が理解できなければ、架空国妄想記事と同じくらいちんぷんかんぷんで、全く笑えない。

知的ユーモアには、ギリシャローマ神話や『論語』、源氏物語のような古典から、最新の素粒子物理学脳科学進化生物学などの科学理論まで、幅広い知識が動員されるため、高等教育を受けていても、殆どの専門家には部分的にしか理解できないようなものが多い。それ故、特に高等教育を受けた人間にとっては、自身の教養水準を試す試金石にもなる。

フランス啓蒙思想の結晶である百科全書の流れを汲み、大真面目に「世界最大・最高の百科事典」を目指すと宣言して憚らないウィキペディアに多かれ少なかれ影響されているMediaWiki系ユーモア百科事典サイトである、ウソペディアアンサイクロペディア等では知的ユーモアは本来大歓迎されるはずである。が、アンサイクロペディアでは最大のライターが下ネタを好んでいるために、ウソペディアでは有力ユーザーの年齢層が全体的に若いために、そして日本さいころペディアはそもそも機能していないために、いずれにおいても現実には知的ユーモアを含む作品はあまり多くはない[2]

技法[編集 | hide]

知的ユーモアは、ただ知っていることを注ぎ込めばよい訳ではない。それでは第二のウィキペディアか、19世紀ドイツ風の退屈教養小説が一丁上がるだけである。

優れた知的ユーモアにおいては、あえて知識を誤用又は詭弁として用いたり、比喩を用いたり、伏線の回収などの構成美にも気を配ったりする必要がある。

ちなみに、知的ユーモア表現を枝葉のみに用いて、大衆が少なくともその趣旨を理解できるユーモアに落とし込む技法も存在するが、これは知的ユーモアが本来インテリ専用だったことに反するので、邪道である。

代表的な知的ユーモア[編集 | hide]

脚注[編集 | hide]

  1. ユーモアの原義は湿度。
  2. 但し、マニアックな娯楽作品を教養として掘り下げた、一部オタク達によって執筆された記事は、ある意味知的ユーモアと類似した分かる人にしか分からないユーモアとしての役割を引き受けている。

関連項目[編集 | hide]